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JSC検証及び内藤廣氏研究4

週刊ダイヤモンド」2015/10/03号に特集記事”新国立競技場問題 繰り返される失敗の本質」があった。冒頭にJSCの内幕に関する次の記述がある。
日建設計に聞いても何も答えないし、頼んだこともやらない。文部科学省もとにかくやれと言うだけだ。一体どうなっているんだ」
文部科学省が所管する独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)の新国立競技場設置本部の担当理事である鬼澤佳弘は昨年の夏、こう周囲にいら立ちをぶちまけた。>

また、以前引用した東京新聞森本記者の記事にも以下のようなJSCに関する記述がある。
<「文科省有識者会議も助けてくれない」「日本の設計事務所は能力が低いのでしょうか」。昨年春、東京都内のJSC本部に呼ばれた建築関係者に、複数の幹部職員が弱り切った様子で切り出した。・・・
何が正しい情報か分からなくなってきた。正しいことを教えてほしい」。すがるように求める幹部らに、技術的な問題点などを指摘すると、幹部らは計画の無謀さを認めつつ、「われわれは計画の推進が責務。それ以外の行動は取れない」と吐露したという>

この時の「幹部職員」にも鬼澤理事が入っている可能性は高いだろう。両記事とも昨年というのは2014年で、この年は1月から基本設計がスタートしていた。ただし、ZHA側の認識では五輪決定後の2013年9月から基本設計が始まっていた。前半の2013年9月~12月はロンドン、後半は2014年1月から日本で行って、終了予定は同年3月だったが5月に延びた。

鬼澤理事ヒアリングでは上記のような「設計会社に対する不信感」の話は出てこない。しかし、.日程を一番重視していたJSCにとって設計期日遅延は非常に憂慮すべき状態であったことは想像に難くない。その中で遅れの原因やリカバーの見通しなどを日建設計がなかなか答えないような状況が発生して、鬼澤理事が不信感を持ったのではないかと推察する。基本設計の遅れは設計の難航を表している。5月に基本設計書を公表したが、根本的問題は解決されておらず、当方が述べてきた「基本設計は成立していなかった」という事態が起きていたと思う。

JSCは山崎設置本部長が技官だったが、検証報告書で<意思決定のヒエラルキーの最も下に位置していて、工事費や工期等の重要事項に関する実質的決定権は全く無かった>とされているように、主体的に動けなかった。
前述の週刊ダイヤモンド記事では<ある計画関係者は本誌に「JSCに何度尋ねても、1625億円の積算根拠は示されなかった」と語り、あるゼネコン関係者は「JSCに何を言っても聞く耳を持たない、という日建設計関係者の嘆きを耳にした」と明かす>と書かれている。
JSC側も設計側がやりやすいように情報を出してなかった面はあるだろう。その点では、やはり責任は大きい。

しかし、技術的に破綻していることを設計者に隠されると外から見抜くには時間がかかる。鬼澤氏は文科省からの出向で、同じ出向者の山崎本部長の上司にあたる。河野一郎理事長は外様だから、鬼澤氏がJSCにおける新国立競技場整備計画の実質責任者となる。日程が遅れたら大変ということで適宜進捗等を確認しようとしたが、前述のように設計会社から情報が出てこないため困惑していたことが想定される。

ただし、そこで手をこまねくだけでなく、対応策も打っていたと考えられる。その一つが2014年7月からの内藤氏参画ではなかったか。設計会社だけに任せていたのではラチがあかないので、外部から専門家を招聘して見てもらおう、本来は安藤氏にお願いしたいが、ご病気ということで内藤氏に参加してもらった。こういう経緯が推測され妥当な発想と思える。大病の安藤氏に配慮して代理で引き受けた内藤氏も、審査員としての責任を後々まで果たす対応だったと思う。

しかし、その後の展開がおかしい。特に内藤氏はJSCにとって役立つ動きだったとは思い難い。
内藤廣氏研究4」として、コンペ審査以降も含めて書いてみる。
まず前提として、同氏は昨日紹介したご経歴に加え「構造デザイン講義」という著書も出しておられる(他にも著書多数)。amazon解説では<東京大学における講義の集成。建築と土木に通底する構造デザインとは何か。実践に裏打ちされた構想力による建築家の次代へのメッセージ>となっている。

このような方であれば、審査コメントでの土木面も含めた指摘<長辺方向の構造体のスラストを留めるための下部構造、見えない底の部分にかなりコストがかかるという懸念はあります>も当然ということになる。
ここまでは整合性があるのだが、それ以後では矛盾が出てくる。まず、内藤氏が2013年末に出した”【建築家諸氏へ】”(2013.12.09)という文書だが、「技術的内容」が全く含まれてない。
この頃にはコンペ表彰式プレゼン案にあった「スラストブロック」は無くなっていたと推察される。フレームワーク設計を了承した第4回有識者会議(2013年11月26日)の資料で、今まで何度か紹介してきた下図から推定できる。
イメージ 1
「建築家諸氏へ」が出たのは同会議の約2週間後で、参考情報としてフレームワーク設計資料を見ていたことは十分考えられるし、それをせずに想定だけで書いたのでは姿勢が問われる。そして同設計資料ではスラストブロックの問題が表彰式プレゼン案より悪化する方向(スタンドによるキールアーチ支持)になっていたにも係わらず、「諸氏へ」のなかでは技術的問題に触れずスルーしたことになる。
その後に内藤氏がどういう動きをされたかは分からないが、我々が今になって知ることが出来たのは「2014年7月以降の設計チームとの係わり合い」と云うことになる。

同年5月末には基本設計書が公表され、断面図や構造説明等により「スラストブロックは無く、代わりにスタンドでキールアーチを支持する構造」が正式に採用されていたことが分かる。内藤氏も当然見たわけで、スタンドの「S造」や「免震化」を、コストも含めて同氏は良しとしたのだろうか。ちなみに由利氏記事では強度の高い「SRC造」を使わないでどうするのか、となっている。

更にそこから「アーチタイ追加」になっていく。西川孝夫氏が最近記事で指摘された「アーチリブとタイバー接続部分の困難さ」などは内藤氏にも自明だっただろう。それが何故本年7月7日第6回有識者会議やその後の白紙化まで維持されてしまったのか。工期や費用の想定等も含めて内藤氏には経緯を語っていただきたいと思う。
また、昨日紹介した日経アーキ記事中では「設計チームに助言もした」と述べておられる。どのような助言をされて結果がどうなったか是非お聞きしたいと思う(まさか「アーチタイ追加」は助言していないと思うが)。

なお、JSCも多寡は別にして費用を支払って同氏に参画して貰ったと推測される。鬼澤理事が困っていた設計会社からの情報断絶を改善するより、ZHAや日建設計を擁護されて発注者側(JSC)を批判されたのでは踏んだり蹴ったりではなかったのか(笑) 

以上
[追記]
参考として内藤廣設計事務所HPに作品例として「旭川駅」があった。2011年完成で「S造」となっている。
イメージ 2

これでも新国立競技場より遥かに小さい。基本設計の構造計画を内藤氏は成立すると見たのだろうか。

追記以上