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ツィート考(F村・浅田・磯崎各氏について、白紙化の真の理由、など)

当ブログの以前の題材「遠隔操作事件」では、コメントで参考になる見解を多く頂いたが、「新国立競技場」ではツィートで述べられていることが多い。興味深い差異であるが、コメントもツィートも鋭い内容が多いことは同様であり、本日は以下の「ツィート1」を頂いたことをきっかけにツィートからの考察を実施。
ツィート1
2月13日記事「A案B案断面図重ね合せ比較」に対して次のツィートを頂いた。
批判的工学主義ってなんでしたっけ?

記事内容との関係は不明だが、「批判的工学主義」というフレーズには僅かに記憶があったので調べてみたら昨年取り上げた「F村」氏が書かれた本の題名(の一部)だった。その本について何と「隈健吾」氏の書評があった。
[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)  [掲載]2014年11月23日  
<しかし、若手建築家最強の論客で、東浩紀たちと福島第一原発観光地化計画で共働する著者は、大胆に、一線を越えて、2・0の先にいった感じがあって、すっきりした。>

えっ、突っ込みどころ多数の以下見解は「若手建築家最強の論客」によるものだったんですか・・・。
”【新国立競技場】「なぜ実務家たちは、ザハ・ハディドを支持するのか」建築家・藤村龍至さんに聞く” 投稿日: 2015年09月02日
もしかして隈氏はここでも「虚偽」? それとも本気で推しておられる? 機会があれば同書を実地に読んでみる積り。
Twitterで同書を強烈批判した人がいるようで、それに対する反論まとめもある)

ツィート2
2月12日記事では次のツィートを紹介した。
検証ブログ氏は、初端の初端のその前も後も全てを噓と茶番で塗り固めた小さな?しかしれっきとした核はミステリーではないのか?

新国立競技場問題(新国立問題)の核に「ミステリー」が存在することを汲み取っていただいたが、その例として「ザハ案スタンド免震」にまつわる話を同記事で書いた。他にもまだ検証を考えている謎が多数ある。
更に、このツィートには「嘘と茶番」の示唆もある。実際もその通りで、まず「嘘」の方では現在の「A案流用問題」で端的に出ていることは言うまでもない。旧計画でも例えば前述の免震につながる「ザハ案の耐震性問題」において、問題が解決出来ていないにも関わらず、それを明らかにしないまま設計了承を受けて所定の設計費用を受け取った行為には「嘘の設計」の疑義がある。

そして「茶番」の方であるが、これがまた重要で「壮大な茶番」が目白押し。新国立問題では、謎でも嘘でもなく、事実が公開資料等で見えているにも関わらず認識がずれてしまっている事柄が多い。例として前にも少し取り上げた「浅田彰」氏による論考の件。
あの「浅田彰」氏までもが、検証委員会報告書等も読まずに「ZHAは監修のみ」という俗説?を信じ込んで論考を発表されたことには唖然とした。ザハ案(及び新国立問題)は「日本の建築界に投げ込まれたソーカル論文」という見方を以前書いたが、言論界や社会全体に対する同論文にもなりそう。
しかし、さすが浅田氏で真逆にすれば真相を突く内容も書いておられる。
<今回(旧計画)は時間の余裕がなかったこともあり、まず「デザイン監修者」としてザハ・ハディドを選び、そのあと日本の設計会社(具体的に選ばれたのは日建設計)および総合請負建築会社(ゼネコン:こちらは大成建設竹中工務店)と組んで具体的な設計案をつくらせる。そこではむしろ日本側が主体であり、ザハは「監修者」に過ぎない、ということになっていたんですね(厳密にいえば「監修者」の権限と責任は曖昧なままのように見えますが)。設計者が構造の根幹から細部のデザインまで責任を持つのが理想だとすれば、ここでは「デザイン監修者」は大まかなコンセプトをイメージ、そして「名前」(ブランドネームのような)を提供するだけになっている。>

JSCの当初意図をずばり見抜いておられると思う。特にザハの「名前」(ブランドネーム)が欲しかったというのは的確。しかし、実態はZHA側の押しに霞が関では「お公家さん」と言われているという文科省官僚(JSCはその出向)が抗しきれず設計への参加を認め、デザイン監修で留めるどころか設計における主導権を握ることまで許した。当初意図とは真逆になって、そこから設計の混迷が始まった。浅田氏はこれを見抜けず長い論考も茶番となり、JSCの方はザハ氏の「名前」だけ頂こうとしたら全体を持っていかれたという大茶番。
日建設計をリーダーとする設計JV選択でも茶番があったと思う。設計入札は落札率の高さからJSCが主導して業界トップの日建設計JVを選択した可能性が想定され、JSCは「toto」で資金があるから、いわゆる「旦那仕様」で設計にも最高のメンバーを揃えたかったと当方は推測。その意図は「ZHA+アラップ+日建設計他」のドリームチーム体制で現実に達成されたと思うが、結果的にはそのチームに見事に裏切られた。
「建てられない設計」を掴まされ、それでも費用はたっぷり支払ったのに白紙化した後もZHAから追い詰められている。日本側で頼みになるはずだったリーダーの日建設計は未だにダンマリを続けるばかり。結局独立行政法人始まって以来という「D」評価を貰ったJSCだけが割を食った。プロジェクトの最終責任がJSCに有ることは当然だが、検証報告などでも一生懸命やっていたことは認められているにも関わらず、一番良いのを揃えたはずのチームに足元をすくわれ全くの喜劇になってしまった。しかも国民にとっては、このまま進めば「嘘つき国」の一員にされてしまいそうな悲劇も見えてきた。

何という茶番満載かと思うが、それだけでなくツィート2で書かれている「初端の初端のその前も後も」と云うのも図星で、根底には「そもそも論」からの様々な間違いが存在すると思う。これについて書くのはまた別の機会として、新国立問題全体を通して混迷の原因は、それぞれ複数ある以下要因の重層的な複合と捉えている。
 (1)ミステリー(未だ隠されている謎)
 (2)嘘と茶番(+誤解と思い込み)
 (3)そもそも論からの間違い

ちなみに、「現代思想」2月号(1月27日発売)に掲載された磯崎新氏の寄稿も読んでみた。これが浅田氏に負けず劣らずのレベルになっていてガッカリ。特にA案決定の言及があって審査後に書かれたことは間違いなく、選定公表後すぐからはザハ氏や伊東氏の指摘があったにも関わらず、「A案流用問題」には全く言及無し。世界の「磯崎新」氏までこのような対応なのかと驚くとともに、大家の実態まで暴いていく新国立問題の破壊力の凄さを改めて見せつけられた。

ツィート3
A案流用問題に関連して、B案シンポジウム後を懸念する次のようなツィートを見た。
新国立競技場問題】 やはり流れがおかしい。 伊東豊雄さん、日本設計、竹中工務店良くやった。B案素晴らしい。 ↑この論への同調圧力はかなり高い。 かくして、コンペの不正追求は忘れ去られるのである。 シンポジウムは「みんなが共有すべき原点」の摩り替えが目的だった??

当方もB案シンポジウムが素晴らしい内容だっただけに、「ガス抜き」で終わってしまうのではないかと云う危惧も感じた。ただ、発起人の方々はもっと深いお考えがあるのではないかという気がして略歴を調べてみた。記述順番は生年、修了学校、所属。塚本氏は最初の挨拶担当、その他は50音順、敬称略。
 ・塚本由晴…1965年、東京工業大学、同大学大学院准教授、アトリエ・ワン
 ・小嶋一宏…建築関係見当たらず、他では1965年、愛知教育大、フリーアナウンサー
 ・千葉学…1960年、東京大学大学院、同大学院教授、千葉学建築計画事務所
 ・柳澤潤…1964年、東京工業大学大学院、伊藤豊雄事務所→㈱コンテンポラリーズ
 ・横河健…1948年、日本大学、同大学教授、㈱横河設計工房

気鋭のメンバーがお揃いのようで、このような方々が仮に「B案」に絞ったシンポジウムを意図しておられたとしても、結果的には伊東氏による「A案とザハ案の類似性証明図」を見ることになった。そして伊東氏は「踏襲」・「借用」と述べ、森山氏は「CADデータ流用」を示唆。当然発起人の方々も専門家として流用を明確に認識されたと思う。更に香山氏の話で審査への疑念も沸いた。今後発言があると思われる中沢氏を含めて、発起人や出席者の方々、及び他の志し有る建築関係者等の尽力で「国としての嘘」が阻止されることを期待したい。

ただ、気になることもあって塚本氏が挨拶の中で「変な政治的決定で(ザハ案が)キャンセルされた」と述べておられた。やはり由利氏記事の内容は建築設計界にも、なかなか伝わらないのだろうかと改めて思った。同記事を見ていただければ、安部氏の決断は着工時期やIOC会合を控えて追い詰められた判断だったことが分かると思う。つまり「英断」とは安部総理ご本人や菅長官なども到底考えていないと思われるのに、周囲やマスコミ等が勝手に英断にして持ち上げ、また勝手に安保法案と絡めて貶めるという、世論まで翻弄する一大茶番劇。深層にある事実を見出さないと、非常に分りやすいはずのA案流用問題でさえも、どんどん進んで行く表層に流され真相に達しないまま終わりかねない。

由利氏記事(P256)は次のように伝えている。これが広く認識されてもらいたいと思う。
<七月十七日、安倍晋三首相は二〇二〇年の東京オリンピックパラリンピックのメーンスタジアム計画を「白紙に戻し、ゼロベースで見直す」と宣言した。
世界的建築家、ザハ・ハディド女史の手になる新国立競技場の巨大にして斬新なデザイン。その見直しを頑なに否定した国会答弁から、わずか一週間で前言を翻すという前代未聞の方針転換だった。
当初コンペの条件だった建設予算千三百億円から、二千五百二十億円へと倍近くに膨れ上がった総工費に反発する名だたる建築家や、「神宮の森」の自然が破壊されると憤る市民団体から、一斉に歓迎の声が上がった。
前日の安保法案強行採決によって内閣支持率が急降下したため、「支持率浮揚に利用された」と批判する論調もある。だが、いずれも「新国立競技場」をめぐる問題の深刻さをとらえてはいない今回の「白紙撤回」はとても手放しで喜べる事態ではないのだ。>
(この後に<「ザハ案では、震度7に耐えられないんじゃないか」とごく内輪の関係者の間で大騒ぎになっている」>というザハ案撤回の真相に迫る内幕の話につながっていく)

以上