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内藤廣氏再考 ([追記]槇氏行動深層考)

まず昨日記事の海外から見たらこうなるであろうという(外形的)事実を再掲。
「日本の建築設計界は正当な国際コンペで選定された外国人設計者の案に対し、重鎮設計家を先頭に批判を繰り返し中止に追い込み、それに同調した集団の中から最終的に新たな日本人設計者が選ばれる」
日本の設計者の対応に対してザハ氏が昨年批判していたこともご紹介した。

そこで日本側でザハ氏を擁護していたが、どうも真意がよく分からない「内藤廣」氏の主張を再考してみる。同氏は2013年12月に以下の論考を出しておられる。
【建築家諸氏へ】” 2013.12.09 
ザハに最高の仕事をさせねばなりません。決まった以上は最高の仕事をさせる、ザハ生涯の傑作をなんとしても造らせる、というのが座敷に客を呼んだ主人の礼儀であり、国税を使う建物としても最善の策だと思うのですが、どうでしょう。
一人の建築家として槇先生が意見を表明されたことには、全く違和感はありません。勇気ある発言に敬意を表します。審査に加わらなかったとしたら、わたしもわたしなりの考えを表明したかも知れません。しかし、ことが署名運動にまで拡がりを見せるとなると、違和感は増すばかりです。・・・>

「署名運動」には2013年10月11日に行われた「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」のシンポジウムの最後に、「要望書をいつ誰がどのように出すかを検討する」としたものを実現した以下が含まれていると想定される。発起人と賛同者の違いはあれ、隈氏と伊藤氏が入っている。
発起人らによって要望書が、下村博文 文部科学大臣及び、猪瀬直樹 東京都知事に提出された。
  2013年11月7日「新国立競技場に関する要望書
  要望書発起人 槇文彦/建築家(代表)・・・隈研吾/建築家・東京大学教授・・・
  賛同者名簿 ・・・伊東豊雄/建築家・・・藤村龍至/建築家・東洋大学専任講師・・・>

もしかすると内藤氏は今の事態を2年前に予想されていたのだろうか。「諸氏へ」の中の<ザハ生涯の傑作をなんとしても造らせる、というのが座敷に客を呼んだ主人の礼儀であり、・・・最善の策・・・>と云うのも本音なのかも知れない。ただ、そうだとすると主張の仕方が弱かったように思う。例えば2014年10月にもシンポジウムがあり、槇氏と内藤氏が登壇している。
 ・槇氏発言抜粋
<槇氏「私はこういうものを造って喜ぶ人は絶対世界にいないと思う。なぜなら、審査委員の責任ではないが、あの狭いところに理想的な競技場でもない、理想的なサッカー場でもラグビー場でもない、理想的なホールでもない、それを一緒にした複合施設をコストも合わないのに造っても羨ましがる人は絶対いない。むしろこんなプログラムでこんなものを造ったのかと世界から冷笑される、恥ずかしいものができると思う。」
・・・「私としては何としても、どうやったらこの案を阻止できるかが大切なこと (笑) 」>
 ・内藤氏発言抜粋
<「敵役で出てきました (笑)。」・・・
私は今まで少し傍観していたところがある。(安藤)委員長が前面に出るべきだと思っていた。しかし最近の様子を見て思うのは巨大な二流の建物はいらないと思う。これが最大の無駄遣い。やるのであれば世界に誇れるものにすべき。>

槇氏の方が「何としても潰す」という迫力を感じる。内藤氏は「敵役」と自認するなら、主人公を倒すには相当の気合が必要だろうが、槇氏は綿密なスライド多数有りで内藤氏は全く無しと云うようなこともあり、気合は伝わらない。また自民党プロジェクトチームのヒアリングでも内藤氏の印象は薄かったように思う。

更に、その後白紙化に至る2015年の動きでも槇氏とそのグループは文科省へ正式提言を出したりしていたが、内藤氏がザハ案推進で積極的に動いたという話も聞かない。
結局内藤氏の真意はやはり不明ということになるが、同氏なりには何らかの思いはあったにも関わらず、強い主張をし続けるまでには至らなかったということかも知れない。(安藤氏の大病があったので、委員長の代わりに国際コンペ結果の尊重と実現を訴えねばならないという使命感の可能性は考えられると個人的には思っている)
建築家が国際コンペで決まった案を批判して組織的に署名運動までするのは行き過ぎと云う指摘については、結果的に今の状態になって納得性が出てきているようにも思う。

以上
[追記]
昨日は槇氏行動について再考したが、更に深層を考えてみる。同氏は、例えば本文のシンポジウムにおいて次のように言い切っておられるので再掲。
あの狭いところに理想的な競技場でもない、理想的なサッカー場でもラグビー場でもない、理想的なホールでもない、それを一緒にした複合施設をコストも合わないのに造っても羨ましがる人は絶対いない。むしろこんなプログラムでこんなものを造ったのかと世界から冷笑される、恥ずかしいものができると思う。>

結果的に開閉屋根やキールアーチは廃止できたが、根本の「多目的スタジアム」という点は新コンペでも変わっていない。この強烈な批判は殆どそのまま残ってしまうのではないか。また収容人数も「業務要求水準書」でオリンピック・パラリンピック競技大会終了後の計画として約8万席の要求が入っている。コスト設定も旧コンペ時設定の1300億円から約2割アップの1550億円。
つまり、槇氏による批判の基本部分は新コンペ要項でも解消されておらず、応募案が公表された時に、どうやってこれまでの主張と整合を取って振り上げていた拳を下ろすのだろうか(隈氏・伊藤氏も問われる)。槇氏ご自身は老獪な対応で凌ぐとは思われるが、建築設計界としてはコンペ応募両氏を含め賛同者も多かったのだから、公表案に対してどのような論議が行われていくか注目したい。

なお、森本記者が2013年9月13日槇氏に初インタビューした時の話として、本の中で次のように記述(P26)。
1300億円と言われているが、まともにやったらもっとかかるという情報がある」、「五輪というわずか20日足らずの祭典のために100年の景観を壊してもよいのでしょうか」>

同記者が「衝撃の3000億円報道」と書いている同年10月19日付毎日新聞記事の前に、槇氏は「1300億円よりもっとかかる」という情報を得ていたことになる。そして1300億円を少し超えるぐらいなら、このようには言わないだろうから、大幅超過の可能性を知っていたと推察される。それを示すような記述が槇氏の最初の論考の結末の方に有る。
私の知る識者と相談し、ざっとチェックしてもらった結果、新施設のコストは(槇氏の仕様縮小提言を反映すると)これだけでも数百億円あるいはそれ以上の削減が見込まれる。工期も短縮される管理維持費ももちろん縮小されるだろう。>

つまり数百億円以上は削減しないと問題になると既に考えていたのではないか。その上で仕様縮減後の設計体制については「ZHA(+アラップ)+日本チーム」を提言している
<それでは建築家は誰がよいだろうか。・・・時間的余裕がなければ、一つのオプションは、先のコンペの当選者に敬意を表し、ザハ・ハディドと(アラップと思われる)当地建築事務所の協同によるロンドン・チームが考えられる。ただし私の希望では基本設計当初から、外苑の歴史、環境、法規を熟知した建築家、耐震構造、日本の施工技術に詳しい人々からなる日本チームを参加させることがよりよい結果を生むと思う。>

これら主張の根源を大胆推測してみると、「仕様を縮減しないとコストや工期が大幅にオーバーすると識者(多分コンペ関係者等)から示唆や依頼を受けて、そこに槇氏の東京体育館設計経験や景観保持の持論を付け加えて論考にした」と云う裏事情ではないか。コンペの与条件設定とそれに対応したキールアーチによるザハ案は再考・廃止すべきだが、コンペで選ばれた設計体制は尊重して残すということで整合性を取っていた可能性がある。もしそうなら、やはり基礎構造の破綻を明らかにして、早期中止と抜本的設計変更に持っていく戦術のほうが適切だったと思える。槇氏自身も隣の東京体育館でアーチ採用しているのだから、遥かに巨大なザハ案でのアーチ支持問題に気付かないはずが無いようにも思える。

槇氏の行動は「一老建築家が、このようなエッセイを書かなければならなかった」と云うだけでなく、前述のように当初から他に有力な協力者がいたのではないか。その協力者が本文のように内藤氏でないと想定すると、なかなか候補者が浮かんでこないので謎は更に深まる。

追記以上