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槇氏インタビュー記事(日経アーキテクチャ)

森山氏ブログの11月15日記事で当ブログを紹介して頂いた。これについて当方は全く関与していなくて、同氏の御判断で実施されたものであるが、当該記事は「遠藤秀平」氏の力作と男気を紹介した秀逸な内容と本問題での同氏の影響力で相当のアクセスが有ったと思われ、当ブログのアクセスも連れて急増した紹介となった。
リンクを載せていただいたのは主に「登場者検証」シリーズで、その後の以下記事は当方の「景観に対する考え方の一端」を書いたもので検証路線からは外れている。
ただし、この記事の[追記]に載せた日経アーキテクチャによる「槇氏インタビュー」は本問題検証に関して重大な内容を含んでいるので、読まれた方もおられると思うが念の為に再掲する。また、内容も大幅に増やしているので、既にお読みだった方も是非ご覧頂きたい。

----記事引用開始----
(インタビューは、新国立競技場整備事業の公募に向けて、日建設計ザハ・ハディド事務所が設計チームを組成したと発表する前の8月26日に実施)
――新国立競技場の整備計画が白紙撤回となった背景をどう捉えているか。
槇:ある意味においては、ザハ・ハディド氏は犠牲者だった。もともとデザインの要件となるプログラムが最初からおかしかったのだ。国際的なコンペを開催する場合、設定するプログラムが大切だ。新国立競技場の将来構想有識者会議では、神宮外苑の限られた土地に完全にオーバースケールの有蓋で8万人規模の多目的スタジアムをつくると、国民の知らないうちに決めた。その決定がコンペのプログラムの中核になってしまった。
 プログラム通りにデザインしなければ、コンペでは落選してしまう。ハディド氏の案が他のデザイン案に比べてよりコストがかかっていたのかもしれないが、プログラムに沿ったデザインで後から「お金がかかり過ぎる」と騒いでも仕方がなかった。
 2020年の夏季五輪が東京に決まる前の2013年8月、この問題を「JIA MAGAZINE」に投稿した。私はこの時点からプログラムに問題があると指摘してきたが、当時は誰も耳を貸さなかった。東京五輪の誘致はザハ・ハディド氏のデザイン案によって成功したという神話が流布したことで、新国立の整備計画に携わる当事者はプログラムの内容を綿密に検証しなかった。これだけ問題が噴出してようやく、白紙に戻すことができたのだ。
 そもそも、コンペは建物を整備する周囲にどのような歴史的背景があるかを理解していない人にも、分かるようにプログラムで説明しておく必要がある。新国立の国際コンペ(国際デザイン競技)では、そうした準備を一切していなかった。従って特に海外からの応募者はまったく理解することができなかった。日本人ならば神宮外苑という土地がどのような場所か、ある程度は配慮しながらデザインをすることは可能だった。しかし、海外の設計者は与えられた諸要件のみを満たす建物を設計したことになる。
 デザイン選考の審査委員会では、ザハ・ハディド案がJRの線路をまたいだデザインだった時点で、落選させることもできたはずだ。しかし、そうはならなかった。なぜそうした案が選ばれたかについては、審査員ではないので、私は語る立場にない。選ばれたザハ・ハディド氏は「設計者」ではなく「監修者」だ。私はこれまで15、16ほどの国際コンペの審査を受け持った経験があるが、監修者のみを選んだのは新国立競技場で初めてみた。
ザハ・ハディド・アーキテクツはコンサルタントだった
――「監修者」の役割とは何か。
槇:ザハ・ハディド・アーキテクツはデザインのコンサルタントだった。しかし、「自分たちは設計者」との思いでやってきたように見える。法的な意味でも契約上も設計者は、日建設計・梓設計・日本設計・アラップ設計共同体(JV)だった。
 監修者と設計者が分かれたのは、日本の当事者が心配性だったためだろう。ザハ・ハディド案が選ばれたものの、期限通りに要件に合ったスタジアムができるかどうかは未知数だった。そこで、能力のありそうな日本の設計者の選定を行って4社のJVに決定された。
 監修者と設計者の役割をはっきりさせていなかった。募集要項にあったデザイン監修者の役割では「監修者は設計者が監修者のデザインの意図を十分に反映しているかについてチェックしていく責任がある」とある。監修者は必要な場合、設計者に設計を修正する提案が行えるものの、両者の権限の詳細は記述されていない。私はこうしたいい加減な要項については、いつか国際的な問題になると2年前から警告してきたのだ。
――今回の「新国立」問題から何を教訓にすべきか。
槇:発注者の日本スポーツ振興センター(JSC)、監修者のザハ・ハディド・アーキテクツ、そして設計者の4社JVが義務や権利についてどのような契約関係にあったのかをはっきりさせるべきだ。それぞれの役割が分からない限り、その後のプロセスで何が起こったのかがはっきりしない。なぜコストは膨らんだか、真相がもやもやと霧の中だ。
 設計にはデザイン監修でザハ・ハディド・アーキテクツが14億7000万円、設計業務は4社JVが36億4648万円を使った。当然、4社JVは与えられた作業に対する対価を得ている。だが結局、デザインが白紙に戻った時点では、無益の行為となってしまった。本来、設計者は図面を引くだけでない。過去2年間の設計プロセスの中で適宜、コストや技術上の問題を発注者に報告し、時に適切な提言を行ってきたかはまったく定かではない。
 問題は2014年5月にかなり精度の高い基本設計とともに、施設規模も29万㎡から22万㎡に縮小した案が出た時だ。コンペ案では3000億円かかるという概算値が出たためにつくった修正案であったが、今となってみると1625億円(坪単価 約240万円)は、後の一般建設コストの上昇を考慮しても過小評価ではなかったかと思われる。
 この1625億円のより詳細なコストの分析結果が明らかにされるべきである。なぜならば、ザハ・ハディド・アーキテクツをはじめ当事者もこの案でいけると突き進んでしまい、破局を迎えることになってしまったからである。設計者もそのくらいでできると信じていたのだろうか。 
 7月に「白紙に戻す」と決定したことに対し、国民のほとんどが喜んだ。しかしこれで彼らのデザインがご破算になるのではないかという危機感からザハ・ハディド氏は直接、安倍晋三首相に手紙を書き、その後も事務所は何回か彼らの立場からの声明文を出している。これらは十分理解できることである。
 しかし、日本側の設計者は悲しんでいるのか、喜んでいるのかまったく分らないまま、現状に対して沈黙を保っている。こんなことでよいのだろうか。社会に対して彼らは説明責任があるはずである以上は、私の個人の意見というよりも多くの建築家、識者の気持ちを代表した意見であることとして了承していただきたい。

----引用終了---- 以降「新国立競技場の規模は小さいほど良い」などは省略…ぜひ会員登録して全文お読み下さい)

これに対して当方は以下のように書いた。
<ZHAが犠牲者かどうかは、当方として検証してきた結果からすると違和感大いにあり。しかし、設計JVに関するこの発言は非常に的確。槇氏には是非「設計JVは説明責任を果たすべき」という正式提言を当初と同じく「JIA MAGAZINE」誌で発表して頂きたいと思う(他媒体でも良いが最初の批判論考と同じ同誌がインパクト強いだろう、同誌が掲載するかも興味深くなる、掲載しなければ他誌へ)。それでまた流れを変えられるのではないだろうか。>

この提言の件で追加すると、槇氏が最初に論考を発表した「JIA MAGAZINE」誌は建築関連団体の中核をなす「日本建築家協会」の機関紙であり、同協会は初代会長が丹下健三氏で三代目会長は日建設計の林昌二氏。現会長は芦原太郎氏で、JSCとの意見交換会等に出席されたり、協会として幾つかの提言を出されたりして本問題と関連が深い。
槇氏と芦原氏という重鎮お二方が、設計JVの中心だった日建設計に対して、「外部専門家も入れた社内検証と公表」を提言していただけないかと思う。これだけ世間を騒がせたからには、建築設計家諸氏としても国民に対する責任を果たして頂きたいし、槇氏自身も上記のように<社会に対して彼ら(設計グループ)は説明責任があるはずである>と述べておられる。そして<私の個人の意見というよりも多くの建築家、識者の気持ちを代表した意見である>とされており、建築家団体のリーダである芦原氏と共に正式提言していただきたいと思う。(前述のように「JIA MAGAZINE」誌上で公開提言が望ましいと思う)

なお槇氏は次のように非常に重大な問題点を述べておられる。
<設計にはデザイン監修でザハ・ハディド・アーキテクツが14億7000万円、設計業務は4社JVが36億4648万円を使った。当然、4社JVは与えられた作業に対する対価を得ている。だが結局、デザインが白紙に戻った時点では、無益の行為となってしまった。本来、設計者は図面を引くだけでない。過去2年間の設計プロセスの中で適宜、コストや技術上の問題を発注者に報告し、時に適切な提言を行ってきたかはまったく定かではない

これは当方見解と同じであり、整理してみると以下になると思われる(→以降は当方)。
 (1)設計料で約50億円(実際はもっと多い)が支払われ、白紙になって無益となった。
   →白紙にせざるを得ない設計に巨額の設計料を払っていた。
 (2)設計プロセスの中で、発注者(JSC)に適宜問題を報告する事や適切な提言を怠った。
   →発注者側の責任もあるが、設計者が当然やるべきことをやってなかった。
    しかも、大プロジェクトであり参加設計者も多く、仮に担当設計者が構造をよく知らなくても、
    [追記]で示すような問題設計が社内チェックを全部すり抜けることはあり得ない。
    組織的関与がどこまでか。

つまり、槇氏は設計グループの実態をよくご存知なのである。「行ったかは全く定かでない」というのは、「やってなかったことを知ってる」という意味であることは自明。膨大な情報が入っていたと明かしておられたから当然となる。この(1)(2)が示すのは、本問題は「日本の建築設計業界における一大不祥事」と云うことだと思う。だからこそ上記インタビュー記事などだけでなく、正式に建築家団体と共に真相解明を行って頂かないと建築設計界への信頼は毀損されたままになってしまう。

以上
[追記]
槇氏の<2014年5月にかなり精度の高い基本設計>という御認識に関しては、当方は強い異論がある。「基本設計の出来が悪すぎた」というのが当方の認識になる(それが実施設計にも尾を引いた)。
10月4日記事で示した基本設計の構造説明図で改めて実例を表す。下図右下の屋根フレームのキールアーチ両端には支持用のアンカーもアーチタイも無いことは一目瞭然である。

イメージ 1

屋根フレームをスタンドが支えていることも①に書いてある。そのためにスタンドはZHAも反対したとヒアリングで言っている「免震構造」(④)になっていると思われる。調べてみると、このような巨大建築物を免震にした前例は無いようである。しかも2万トンと言われる屋根フレームがスタンドに乗る。建築家の方々はこのような構造をコストや工期も含めて良しとされるのだろうか。また由利氏記事では耐震に問題有りとゼネコンが判断したことが書かれている。同記事の信頼性がどこまでかということにもなるが、当方検証では事実との整合性は高い。最終的には建築設計業界の自浄作用による検証を期待。

追記以上