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登場者検証9 「槇文彦氏」

まず昨日記事において「建築設計業界全体でJSC公開情報からでも検証いただけないか」としたが、考えてみると当方もやってきたことだった(笑) それを今更何故書くことになったかと思い返すと、同業界における本問題の扱いで、そのような図面等を基にした突っ込んだ論議を余り見かけないことに気がついた。(図面ではないが、文藝春秋由利氏記事の技術面信頼性検討も行っていただけるとありがたい)

本日取り上げる槇氏も、最初の2013年神宮外苑景観からの批判は別として、2014年のキールアーチ批判はもっと図面で追求した方が効果的だったのではないだろうか。例えば基本設計図でキールアーチ断面が「2LDKマンション並み」と云う指摘はされていたが、実施設計で出てきたキールアーチ支持用の「アーチタイ」図面が、お絵かきソフトレベル(或いはそれ以下)だったことへの言及は無かったと思う。
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それでもキールアーチに取り付け予定だった開閉装置については、2014年10月1日シンポジウムで以下のように述べておられる。
<たとえばきれいで繊細なワイヤーによる屋根の開閉システムがコンペの時に提案されていましたが、実際はそれでは不可能なのです。ゼネコンに対して良い考えがありませんか、と聞くことになった大きな原因は可動式の屋根です。>

この説明で詳しい図面が使われたかどうかは不明だが、「ゼネコンに対して良い考えがありませんか、と聞くことになった」というのは実は内部情報で、「入札公募資料でゼネコンに開閉構造への提案を求めている」ところから来ていると想定される。槇氏は同シンポジウムで<私自身、(批判の)言い出しっぺでしたので、この1年間で膨大な情報が入ってきました。>とも述べておられた。重鎮であり、様々な内部情報が集まっていたと思う。その中に「アーチタイは実現性疑問、或いは実現困難」という情報も当然あったと推測できるが、<私は非常にリアリスティックな面があり、どういう風にしたら今の案がボツになり得るかと考えています。>とまで同シンポジウムで言い切っておられながら、何故冷徹にJSCや設計会社が逃げられないアーチタイ設計図で攻めなかったかが不思議。
開閉装置では詳細追求しても、無くしてしまうか先送りする手があることは予測できて、実際にゼネコン参画してから少なくとも本年3月には後施工の方向になり、ボツ理由にはできなくなった。それでもまだ槇グループはアーチタイ問題には触れないまま、キールアーチ廃止無蓋化の提言を2015年5月29日に出されたものの、その中の代案は採用されなかった。

以上槇氏関連の経過概要を見てきたが、結果的には御承知の通り7月17日安倍総理の「白紙見直し」表明でザハ案はご破算になった。この時期だったことは非常に重要で、本格着工決断リミットと考えられることはこれまで述べてきた。ただし、更にもっと深い意味が有る。槇氏の2013年8月の批判で新国立競技場問題が注目を浴びた。その後建築家の方々や市民運動も合流し、マスコミの報道も拡大していって大きな流れになり世論も形成された。では、それらによって”白紙”になったのだろうか。

当方として論理的客観的に見るとこれまでも述べてきたように、実際には「着工不可能だったから、着工直前で白紙(=中止)の決断をせざるを得なかった」と捉えている。無理に着工しても、基礎の設計が出来ていないから続けられずストップ必至という追い込まれた状況での決定だった。ただし、国民の多くがすぐに白紙化を受け入れて支持する流れを準備したのは、それまでの世論形成が大きかったことは間違いない。

このように振り返ってみると、槇氏がアーチタイ問題を取り上げず、もっと早い時期でのストップが実現しなかったことは、やはり不可解かつ残念である。上掲の図を示して「このアーチタイの具体的実現案と概略構造図等を出して下さい」とJSCに要求すれば、実現可能な設計は出来ていないことが容易に分かりストップになったと思う。槇グループは2014年9月25日自民党ヒアリングの際に様々な質問を提出し、その回答が12月19日付けでJSCから出されている。8月19日日経アーキテクチャ記事でアーチタイが出ているのだから、質問にアーチタイ問題を入れていればJSCから正式回答が得られたことになる。そうすれば12月になっても設計が出来ていないことが分かった、或いは誤魔化そうとしたかも知れないが、アーチタイの原理自体は簡潔なものだから更なる追求は容易だったと思う。何故やらなかったのだろうか。
なお、同ヒアリングに出席して質問を出された槇グループの中村勉氏は、その前の 9月8日JSCによる「追加説明会・意見交換会」にも出席しておられ、JSC公表によると同会には次のような面々が出席。
建築関係団体の代表の方々である日本建築家協会 芦原太郎会長、上浪寛副会長、日本建築士連合会 三井所清典会長、東京建築士 中村勉会長、日本建築士事務所協会連合会東京都建築士事務所協会 大内達史会長、日本建築士事務所協会連合会 三栖邦博前会長などが出席しました。 >

そうそうたるメンバーが揃った会合で、その前の7月開催も含めてアーチタイの件は出ていない。このメンバーで情報が入っていないはずがないし、特に前述の「中村勉」氏は槇グループの中でも舌鋒鋭く技術的問題を追求しておられたと思うが、何故アーチタイを取り上げなかったか。槇グループも建築関係団体も早期にストップさせる機を逸したことになる。

なお、当方がアーチタイ問題を継続して追求するのは、自分の技術者経験において「これだ」と見極めた点は押し続けて突破するということをやってきたからである。今回の例で言えば、当方が潰す立場だったら文字通り基礎の問題であるアーチタイで押して、開閉屋根問題を持ちだすと焦点がぼやけるというようなことである。結論を出すまでは色々考えることが必要だが、結論(今回の場合はアーチタイ問題で建設不可)が見えたら徹底してそれで押すことが肝要。なお合わせ技や補強証拠として本命以外の論点も使う場合は有るが、それもまず本命で押すからこそ有効になる。

他にも槇氏関連で国際コンペとの関係について[追記]に記す。

以上
[追記]
これまで新国立競技場問題を検証してきた中で槇氏行動に関して思ったのは、「経緯に色々問題はあっても正式に行われた国際コンペの尊重を優先すべきで、景観という主観が入る要因での批判は建築設計界の重鎮としてやるべきで無かったのではないか」ということで、設計家の方々の中にもある批判的見解と同様の見方。その後のキールアーチ批判は、客観的に見て建てられないものへの反対という意味で正当と考える。

外苑景観については、最終審査で内藤氏が述べていた意見にも大いに理はあると思う。
<外苑の歴史を鑑みて、内苑は伝統様式を守る、外苑はヨーロッパ的な外から来たものを積極的に取り入れるという精神からすると、必ずしも異物というか、我々にとって近未来的のようなものがあっても悪いはずはない>(ただし内藤氏の1位はCox案で2位がザハ案)

外苑には既にプロ野球も使用する硬式野球場や第二球場、バッティングセンター・ゴルフ練習場など景観に相応しいと言えるのか大いに疑問の施設が多々ある。更に槇氏本来の主張と思われ、当方も全面的に同意する「絵画館前広場における複数の軟式野球場とそれによる一般立ち入り不可状態」の異様さもある。この状態で景観保護を理由に国際コンペ結果に異を唱えたのは、大家の行動として適切だったとは当方には思えない。これに関しては非常に違和感を覚え、何か裏がある方が自然で槇氏一人の考えとは思えないでいる。
なお、内藤氏に関しては槇氏を批判する形になっているが、その理由もよくわからないままである。もしかすると、上記の審査時見解を貫いていたのかも知れないという気は少しする。ただ、それにしてはこれまでの経過で信念を貫いているという発言の仕方や内容ではなかったように感じられ、意図は不明。

また、東京新聞森本記者記事と槇氏・内藤氏の言動の大きな違和感から、両氏が共闘してザハ案潰しを図っていたのではないかと以前記事で推測してみた。しかし、設計チームに助言等していた内藤氏の得られる内部情報は、実際の設計現場に近く確実になる。槇氏とグループがそれを使ったなら、設計上の問題点は容易に分かって焦点も絞れ、もっと早く潰せていたと考えられる。やはり共闘は無かったのだろうと今は見るようになっている。

追記以上