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応募案公表を控え槇氏行動を改めて問う

森本記者は槇氏の問題提起から取材を始めたということで、そのスタートを第一章の冒頭で次のように書いている。
----森本記者本抜粋開始----
2013年9月上旬、東京・内幸町にある会社のデスクで作業していた私は上司からコピーを手渡された。「かなり説得力のある内容だと思うよ。ちょっと、取材してみて」
それが建築家の槇文彦さんが日本建築家協会(JIA)の機関紙「JIA MAGAZINE」に寄せた「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」だった。
・・・
エッセーの最後の言葉はとりわけ印象に残った。「(日本の建築論壇界では)昔から『物言えば唇寒し秋の風』のその秋風が今でも吹いているのではないでしょうか。・・・
・・・
後になって人づてに聞いたところによると、「JIA MAGAZINEに掲載する、しばらく前に同じ内容のエッセーを別の建築雑誌に持ち込んだが、「とても掲載できない」と断られたらしかった。当時はそんなことまで知るよしもなかったが、ともかく相当の覚悟で筆を執ったのだ、という熱意は伝わった。
----抜粋終了----

同記者も感じたように、槇氏は相当の覚悟の上での行動だったと思われる。その後紆余曲折を経て、結果的にザハ案は白紙見直しになり、今月やり直しコンペの応募デザイン案が公表され、今月中に設計施工業者が決定される予定である。
当ブログでは11月11日記事の[追記]で、槇氏行動に関して「経緯に色々問題はあっても正式に行われた国際コンペの尊重を優先すべきで、景観という主観が入る要因での批判は建築設計界の重鎮としてやるべきで無かったのではないか。その後のキールアーチ批判は、客観的に見て建てられないものへの反対という意味で正当と考える」という見解を記した。

応募案公表が近づいている現時点で改めて考えてみると、槇氏が何故あのような行動を取られたか、個人的には疑問が更に高まってきている。例えば問題提起があった後に以下のシンポジウムが開かれていた。
----シンポジウム要項抜粋開始----
 名 称:シンポジウム「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」
 パネリスト:槇文彦陣内秀信宮台真司、古市徹雄(兼進行)
 日 時:2013年10月11日(金)18:00~20:00
 場 所:日本青年館中ホール(東京都新宿区霞ケ丘7-1)
 発起人(あいうえお順):五十嵐太郎伊東豊雄乾久美子、宇野求、大野秀敏、北山恒隈研吾、・・・藤村龍至・・・
----要項抜粋終了----

パネリストではないが、発起人に「伊東豊雄」氏と「隈研吾」氏という新コンペでの応募者が含まれていて、両者のどちらかになることは既に決定している。(本来応募は局外中立者に限るぐらいの自主的配慮なども必要ではなかったか)

ところで当方は「外形的真実」、或いは「外形的事実」という考え方をよくする。「内部に様々な事情があっても、外部から客観的に見える事実がある」という考え方になる。これを適用してみると、「日本の建築設計界は正当な国際コンペで選定された外国人設計者の案に対し、重鎮設計家を先頭に批判を繰り返し中止に追い込み、それに同調した集団の中から最終的に新たな日本人設計者が選ばれる」というのが、特に海外から見た(外形的)事実になると思われる。

ザハ氏はすでに昨年12月に日本の建築家たちを以下のように批判していた。
<ザハも対抗する姿勢を見せました。彼女はdezeenのインタビューにて、日本の建築家たちを外国人嫌いの偽善者と批判しています。
「東京の”国立”競技場という建物を外国人に作って欲しくないだけなんですよ。それなのに、妹島和世伊東豊雄槇文彦磯崎新隈研吾といった建築家全員が、海外で設計をしている
「コンペで勝てなかったのは勝てなかった人自身の問題でしょう。あの場所にスタジアムを立てる案に反対なら、そもそもコンペに参加すべきじゃなかった」>

今後ZHA側が海外メディアなどを通じて再度批判を行う可能性もあるだろう。日本の建築設計界は、白紙見直しは政府が決めたことと逃げたりはしないで、国内外ともに納得いく説明を出来るか。
それをするためには少なくとも真相究明しておくことが必要で、政府は検証委員会に制約を嵌めて白紙化経過を隠蔽したが、政府の再検証が行われないなら建築設計界でやって頂きたいということを繰り返し書いてきた。応募案公表が近づき、その必要性は高まっていると思う。海外でも話題になり建築設計界だけの問題と考えていただいては困るわけで、国民の一員として日本の信用が毀損することは極力避けて頂きたいと願っている。

率直に検証すれば、白紙化理由は工費だけでなく、構造設計上の根本的問題があったことが判明するだろう。ZHAは基本設計を主導しており、「犠牲者」(槇氏)・「悪者にされた」(内藤廣氏)などでは無いことが分かると思う。当ブログでも、例えばZHA側が正当性を主張したビデオにおける以下の問題点を証明してきた。ZHA側が日本側を批判するなら、納期も含めた建築成否につながる、このような問題を説明できるのかということになる。
(1)屋根とスタンドの並行工事メリットを示す図の虚偽
 スタンドの形を実際と変えて成り立たせていて明白な虚偽と認識せざるを得ない(図が間違いだったと言うなら並行工事メリットの主張自体が虚偽となる)
(2)ビデオと基本設計で屋根支持の構造が異なる
 ビデオではキールアーチで屋根を支えるメリットを謳いながら、ZHAが参加して前半を主導もしている基本設計では構成が逆になっていたことに対し、ZHAを含めた設計チームから説明が無い(当初コンセプトはキールアーチで屋根を支持なので、屋根支持に関して「キールアーチ→スタンド→キールアーチ」という重大な変遷がありながら理由説明もない)
(3)アーチタイのCGで肝心のアーチタイ本体が無い
 鞘(外箱)は描かれているが本体は無く、BIMによるデータ共有はどうなっていたかということになる(そもそもアーチタイ本体の詳細設計は出来ていたのか、鞘の図も実施設計と形状が異なる)

なお、それでもザハ案を支持する方々が出てくることは自由であるが、上記(1)~(3)などに対して或る程度納得行く見解を示して頂かないと論議の根底が揺らぐ。説明をZHAに求めても多分やらないだろうから、ザハ案支持される方にやって頂くより無い。どんな考え方も有りだが、今後応募案公表で国民の間でも関心が再燃する可能性があり、少なくとも専門家の方々には客観的事実に基づく深い論議をお願いしたいと思う。

以上
[追記」
森本記者本は、読み進めると熱心な取材により内容は多岐に渡り、新国立劇場問題を見直してみるにはお薦めと思う。ただし、やはりキールアーチの部分は疑問で次のような記述がある(P136)。
<このキールアーチの問題について早くから指摘していたのは、槇文彦さんだった。槇さんは基本設計の公表後の(2014年)6月、その内容を分析し、問題点を独自に指摘した文書を公表していた>

しかし、これには違和感有り。槇氏の「キールアーチ断面が2LDKマンション相当」という指摘も余りピンと来ないが、それより前の4月に森山氏ブログでキールアーチ支持問題に関して良く知られた論考がある。アーチタイまで含み地下鉄干渉可能性も出てくる。これを取材量豊富な森本記者が知らないとは到底考えられない。

なお、森山氏については本の中で自民党ヒアリング出席者として名前が挙げられている以外に、屋根素材の件でコメント記載がある。また、「ブログで新国立競技場の問題を追求していた」という記述(P123)もあったが、「支持問題」を指摘していたことへの言及はない。つまり森本記者は同氏に取材しているのに、何故か肝心のキールアーチ問題では経過も含めてスルー。核心に踏み込むことを避けたのだろうか(苦笑)

ただし、アーチタイについては誰からの話か分からないが、次のようなアーチ構造の概説と巨大さの記述は有る(P136)。
<アーチの両端は、鉄筋コンクリート製の「アーチタイ」という構造物で結ばれることになっていた。「股裂き」のようにアーチの端が外へ外へ拡がっていくのを防ぐためだ。後に文部科学省が明かしたところによると、このアーチタイに必要な鉄筋の量は2300トン、コンクリートは2万5000立方メートルに達する。>

もしかするとアーチタイについて「具体的設計が出来ているか怪しい」ことには気づかず、巨大さの問題だけを考えていたのかもしれない。そうなると森本記者に<「新競技場の形は構造的には全く非合理だ。・・・ ゼネコンの力があれば造れると思うがコストは跳ね上がるだろう」>と話したという構造専門家(渡辺邦夫氏)の影響などもあったのだろうか。

高名な専門家で実績も多々ある同氏には、是非アーチタイの実現性を綿密に検討して森本記者に伝えて頂きたかった。(ゼネコンでも本当に造れるものだったのか、少なくとも免震構造協会前会長「西川孝夫」氏は困難性を指摘している)

追記以上