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雲取山証言問題点(その3)掘り方の違い

江川さんの記事だけでなく、rec*lde**des*さんの傍聴記録があって更に詳細が分かるので有り難い。
その中の一節。
>一等三角点の台座南東側面に対して横に立ち、台座に対して平行にツルハシを頭から力一杯振り下ろした。三角点南東側台座の側面から数センチ離れたところを掘削した
>(注:ツルハシによる掘削の様子を示す写真は、ツルハシの先が台座の南東側面の左角にあり、左から掘削されている様子が示されていた。台座側面に沿った線状の深い垂直穴になっていた。側面のボルトより離れて掘削されているようであった。) 


→これに沿って今まで見ていた図を訂正してみると以下のようになると思われる。
イメージ 1

上記の証人説明は最初の掘り方としては妥当と思うが、訂正前の元図とは肝心のツルハシの向きを始めとして色々違いが多い。
特に「台座に対して平行にツルハシを振り下ろした」という掘り方だったことは、元の図からは想定困難ではないか。
当方には、元図はツルハシの向きや穴の書き方からしても、台座側面に対して直角方向に掘ったことを示しているとしか見えない。
(皆さんのご見解もお寄せください)

ただし、弁護側は昨年段階でも今回の証人説明のような内容を既に聞いて、平行に掘ったことを理解できていたのであろうか?
しかしもしそうなら、これほど不正確なのだから、その場で正式図提出を求めているだろう。
会見でもそのような話は全くなかった。
現在は正式図があるにせよ、捜索から時間が経った後に一旦は証拠で出ている元図の書き方は、撹乱させようとしているとしか思えないレベル。
昨日記したように、捜索ミスを上層部が認識していて、埋まっている可能性が高いことも分かっていながら再捜索が遅れた上にこのような図では、弁護側や被疑者の混乱を誘発するものであり防御権の侵害にもなってしまう。

また、警察にとっては捜索は仕事であるから、その結果を報告するための図はビジネス文書に相当してくるだろう。
しかし、このような不正確な図はビジネス文書としても失格であるのは明らか。
更に証拠として使う場合は、仕事で云ったら契約用図面レベルかそれ以上の重みがあるだろう。
このような図を契約に使ったら会社の信用にも関わる。
それを証拠として出したのだから、天下の警視庁の仕事とはとても思えない。一体どうしたのだろうか。

更に裁判では、被告人の人生がかかってくる。
江川氏の第6回公判記事で以下のようなくだりがある。
<佐藤 警察官調書や検察官調書には全く書かれていない。あなたには記憶というものがないのか。
その瞬間、裁判長が「失礼ですよ」と発言。佐藤弁護士が「なぜだ」と反論しかけると、検察官が2人同時に立ち上がって、声をそろえて「侮辱的だからです」と叫んだ。
激しいやりとりになりそうなところを、裁判長が「私が聞きます」と引き取って、証人に直接尋問した。>

佐藤氏の尋問が裁判長や検察官から非難されている。
しかし、その前までのやり取りから、佐藤氏の趣旨は「被告人の人生がかかっている証言をしているという自覚があなた(M氏)にあるのか」ということで、つい出た強い言葉ではないかと個人的には思う。
ただ、M氏にそれを言っても余り堪えそうにないから意味が無かったかもしれず、言葉を荒らげることを忌避する日本人気質に対しては単に印象を悪くしただけかもしれない。

しかしそれより疑問を感じるのは裁判長と検察官の方である。
上記の元図のような不正確なものを重要事実の証拠として出したことの方が、人生がかかっている被告人に対して遥かに失礼であり、侮蔑であることが分からないのだろうか。
判決が出るまでは刑罰を受けているわけではないのだから、被告人の人権に対しても同様の配慮が必要。
しかし、証人にだけ配慮してみせるのでは、当方にはスタンドプレーに思えてならない。

更に裁判長は以下のやり取りで、今度は佐藤氏側から糾弾されても無視している。
< 裁判長 あなたは、警察や検察の調書では、どうやら「100行」と述べているようだが…
佐藤 「どうやら」ではない!調書は採用されて、裁判所も見ているはずではないか。
裁判長 (無視して)違いがあるのは、どういうことか >

C#能力という核心に触れる部分に関して、警察と検察で同内容だった調書を1年も経ってから反故にして、2倍以上に盛ろうとしている無理筋のやり方のチェックなのに、「どうやら」とは佐藤氏でなくとも真剣味や責任感に欠けると言わざるをえない。
単に口癖で言ったというなら、訂正ぐらいはすべきである。
このくだりは江川氏はそのまま書いているようで、訂正もなく、
しかもその後の裁判長尋問自体も証人から何も引き出せずに終わっている。

ここまで来ると、本事件の裁判官が刑事裁判の基本的構成をどう認識しているのか、懸念を持たざるを得ない。
当事者主義で検察側と弁護側が対峙するとはいえ、両者の捜査能力や権限は大きな開きがある。
つまり非対称な構成である。

法廷の場においては、検察官と弁護人が左右同じような位置に対峙して、一見すれば対等のようにも見えてしまうが内実は全く違う。
実態は例えば10対1より、もっと警察を含めた検察側の力は大きいのではないか。
それを意識して調整するのが裁判官の訴訟指揮であることは当然。
しかもシロにする捜査が公約されているのだから、裁判官、特に裁判長は、弁護側からの疑義で納得性があると判断したものは、積極的に検察側に調査・回答を求めるべき。
その方が結果的にも裁判の進行は早く信頼性のあるものになるだろう。

だが、非対称性は刑事司法に携わる者が本来充分認識しているはずなのに、それが伝わってこないように思う。
これまでの進行のように今後も非対称性を余り考慮しないまま当事者任せでは、真相の解明という点でどこまでやれるか。
しかも裁判官が門外漢である技術的な論点も多い。
このまま最終的には全てが裁判官、特に裁判長の自由意志というのでは、自由心証主義は分かっていても個人的にはやはり釈然としないものがある。

以上
[追記]
釈然としない点をクリヤにするためには、やはり一旦公訴棄却して捜査の問題点を検証・改善した上で、再捜査によって全容を明らかにできたら再起訴が筋だと思う。
それに関連して昨日のsoさんとのコメントを見なおしてみた。
soさんも< 早く裁判をやめて、真犯人捜しに戻った方が良い >ということで裁判無効に関しては同見解だったのだが、雲取山の件の受け取り方が違ったようである。

昨日当方記事において「捜索ミスで埋まっている可能性が充分あることを上層部が早くから認識していたにも関わらず、ミスを表沙汰にしたくないこともあって再捜索が遅れ、ギリギリになってから行って発見したが、その経緯の真相は隠している」という見立てを書いた。
それで、このことを持って当方が公訴棄却を主張したように受け取られたかも知れない。

しかし、その前日のコメント欄でも本事件捜査・起訴の特殊性を端的に以下の様に記した。
 (1)黙秘ではない被疑者に対して取調を行わなかった
 (2)シロにする捜査の徹底を公約したのにやっていない
 (3)訴因が極めて曖昧なまま起訴し、そのまま裁判が進んでいる
これだけでも充分公訴棄却相当の所に、雲取山捜索ミスの真相隠蔽が加わったというのが、昨日記事の主旨であった。
通常であれば雲取山捜索ミスとその真相隠蔽だけでも大問題になる所に、本事件はもっと大きな問題も複数あるという構図。
公訴棄却の妥当性が更に強まったということであるが、人に伝えるのはなかなか難しいものだと改めて思った。
また、コメントを頂くとそのようなことも認識できるのが有り難い。

なお、逆に「もう主張は分かっているのに、何故繰り返し書くのか?」と訝しがられている方のほうが多いと思ってる(笑)
これに関しては、本事件のことを後で調べたりする人が、「何故このような筋の通らない異常な裁判が行われたのか?」と改めて疑問を持った際に、社会の片隅ではあるが裁判前や進行中も同様の疑問を持って解析と主張が行われていたということを残す趣旨がある。
そのためには何回も書いておくことが有効ではないかと思い、繰り返させて頂いている。(後から部分的に見ても書いてあることが分かる)
ずっと見て頂いている方々には冗長になるが、ご容赦いただきたい。

追記以上