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「自分でも分からない」

(本日2本目記事)
片山氏が助かるための切り札としてやった真犯人メールに矛盾が多すぎることをこのところ取り上げてきた。
真犯人メール以外でも本事件は当方として不思議に思うことが多いので、比較で他の事件も考えてみる。江川氏の第12回公判メモに以下の記載がある。

<――同じ年代の人の事件は(秋葉原事件の)ほかにもある 
いわゆるサカキバラ世代で、切れる世代と言われた世代そのもの。2ちゃんねんるの少年が起こした西鉄バスジャック事件。土浦の連続殺人。栃木の(勝俣たくやの)事件も 
なぜか、世間を騒がす大きい事件を起こすのが、この世代に集中している。 ・・・
そういう事件に共感はしないですけど、なぜ自分と同じ年代に集中するんだろう、と思う。自分の中にも異常なものがあるのは分かっていて、その世代であることと因果関係があるのかな、とも思う。>

秋葉原事件や土浦事件、そして年代は少し違うが黒バス事件の公判記録などもざっくり読んでみた。
それらの人たちが述べていることは、重大犯罪を起こしたのだから異常性があるのは当然であるが、片山氏の場合と比べると全体的に理解しやすいように感じた。
片山氏の場合は、どうも独特であるように感じる。他の同世代事件と同列に置き難いところがあると思った。

例えば、公判記録などを読んだ事件の範囲では、他の人達は捕まることを前提に自己主張や自己の思いの実現を図ろうとしている。
しかし、片山氏は捕まるつもりはなかったとハッキリ言っている。だが、江ノ島のようにわざわざ人の多い所に出向いて行った。
捕まる気がないとはとても思えないのに、捕まるつもりは無かったとは理解し難い。
他の人達は理不尽であるが、理不尽なりの筋が感じられるのに、片山氏の言動は考察すればするほど訳の分からない矛盾が出てくる。片山氏の言動のほうが当方には難解。

この分かりにくさにはやはり何らかの原因があって、深い精神的問題を抱えているのではないかと当方には思える。
その原因を考えるにあたって、片山氏は公判で<犯罪に走るような悩みがあったわけでもなく、趣味も持っていたのに、自分でもなんでやっちゃったのか分からない>ということを述べている。
これは非常に重要ではないかと思う。

「自分でも分からない」というのは責任能力を低くしてできるだけ罪を逃れたいという場合も有るかも知れないが、今回はそうではないと見ている。
片山氏が自供に追い込まれた後、それまでは無罪を取ることばかり考えていたが、じっくり事件を思い返してみて「何故あんなことをしてしまったのか分からない」という率直な心境を語っているのではないだろうか。
「自分でも分からない」という心理状態がどういうものなのか、まず心理鑑定による分析が重要になるだろう。

以上