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 保釈後行動など

ニコニコ動画で会見映像がアップされていた。冒頭の方で佐藤氏が判決理由の一部を以下のように述べた。
真犯人メールというものを保釈後送りまして、罪を逃れようとしたという点については、保釈中の証拠隠滅行為としては今まで例を見ない積極的なものであるということで、厳しく批判をされました

しかしながら、当ブログで明らかにしてきたように、保釈どころか公判開始以前、いや実際には公判前整理手続が始まる前から、「決定的証拠は複数あった」のである。これを検察側が適切に使用していれば、当初から有罪の確証を示すことが出来た。

また、起訴にあたっては当然犯人性を示す必要があるのに、肝心の犯行である遠隔操作の場所が「東京都内又はその周辺」などという曖昧な訴因で起訴している。これも以前に当ブログで書いたが、過去に訴因が明確で無かったために論議になった事件での問題とも違うもので、まさしく「今まで例を見ない」レベルの犯人性が曖昧極まる起訴であった。
 ”訴因に関して2” 2013/9/23

裁判所はこのような常識はずれの起訴をそのまま受け入れるのではなく、少なくとも取調べを行なって出来る限りの「曖昧さを減らす努力」をした上での起訴にするように、職権で検察側に求めるべきであった。
そして録音取調べが行われていれば、前述の決定的証拠の使用によって自供に追い込むことは容易であり、そもそも保釈の話が出ることもなかった。(決定的証拠が後付けではないことは、これまで当ブログで詳細に証明済み)

結果的に不適切な訴訟進行によって裁判が長引き、保釈にも至って、その後謂わば2次的状況として片山氏の隠滅行動が可能になった。しかし、判決においてはその結果責任は全て片山氏にあるとされてしまい、不適切な起訴と訴訟指揮の問題は全くスルーされているようである。

また情状鑑定の件については以下の質疑があった。
<(記者)「判決の中で発達障害ということについては証拠が出されていないということで、特段考慮しないというように明言と云うか、かなり◯◯(当方聞き取れず)されていましたが、その点についてはどうお考えですか?」

(佐藤氏)まさにその点が非常に重たい問題だと思います。発達障害については私達は私的な鑑定を試みて、最終的に鑑定書を提出しないという選択をしたわけです。
それで「弁護側はそういう主張をしてるけども確たる証拠はない」と言われて、それは已むを得ないわけです。
本人が発達障害、或いは自閉症スペクトラム症という診断が下された。それが犯罪の原因になっているんだと私達は主張していた。
それでこの点が最大の問題だと申し上げたのは、本人が送ったメールというのはまことにおぞましいというか、そういう文言が連ねられているわけです。そういうことを片山祐輔という人物がどうして思いつき、それを実行に移したのかと云う問題があるわけです。
それが一つはコンピュータの世界というか、インターネットの世界の中で生きている若者が、発達障害というものについては、統計の取り方にもよるんでしょうけども10人に一人ぐらいは潜在的にも抱えていると言われている今日、この事件についてそのところに光を当てることも凄く教訓として意味があるんじゃないか、と私達は考えてきた。その点が簡単にいえばバッサリ切られてしまって、関係ない事件であるというふうに処理されてしまったわけです。>

これも以前の記事で述べたが、裁判所自らが「これだけの事件」と言っていたのだから、そもそも弁護団による私的鑑定でなく、裁判所の判断による公的鑑定が必須。それを当方には全く妥当とは思えない判断で却下しておいて、「確たる証拠がない」とは何をか言わんやである。

神保氏からは本事件の総括的な感想を求められて佐藤氏は以下のように述べた。
<本日法廷終わりまして検察官にもご挨拶しましたし、一番最初に捜査に従事してこられて証言台にも立たれたある警察官が傍聴しておられました。ご挨拶したんですけども、一番最初に湾岸警察署にいた時の取調べなさってた警察官です。だからそれぞれが一生懸命やってきた事件が、こういう形で一つの節目を迎えて良かったと私は思います。
事実が歪められることがなかったという意味では、刑事司法が勝ったと言えるし、私は敗れるべくして敗れたわけなので、そういう意味では刑事事件の解決としては、これで良かった。
ただ、一つ一つの事件から何を学ぶのかということについては、全部を判決に求めるわけには行かないんだけども、課題は残されているんだと私は思います

「事実が歪められることなく刑事司法が勝ち、結果として良かった」というのは現在の偽らざる気持ちと推察されるが、それに続く「一つ一つの事件から何を学ぶのか?」という点は更に重要と思う
弁護側は敗れたと自認したが、検察側と裁判所は自分たちは特に問題なかったと感じているだろう(特に当然ながら検察側は勝ったと思っている)。

しかし、その結果本当に負けたのは、決定的証拠が複数あって容易に早期決着できていた事件を混迷・長期化させられて多額の税金が使用され、しかも解明不十分で終わって、将来のために事件から深く学ぶことが叶わなかった国民ではなかったかと個人的には感じている

以上