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 生越氏の片山氏評2

生越氏発言の後半部分をご紹介。( )内は当方追記。
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そこから後色々な話があったというのは、さっきの野間さんの話でいいんだけども、この事件に関して彼に対する心証というのも色々持っているわけです。
最初にこの事件が起きた時に、ネットにありがちな事件と思った。その時は大した心証を持っていない。その後マスコミが騒ぎ始めて、なにか凄い凶悪犯みたいな話になって、こちらも犯人だと思って見ていたのですから、よっぽど腹黒い悪い奴だというようなことになるわけです。

その次にどうなるかというと、江川さんが「どうも証拠がないんで冤罪っぽいよ」というようなことを書き始める。それを読んでると何となく冤罪ということは充分あるよな、ということになる。
長いことインターネットの世界にいると、割りとアンダーグラウンドというような人たちと付き合いがあって、それだけの凶悪犯であれば何か片鱗がネットのどこかに落ちてたりすることがある。それでそういう人たちに「片山って聞いたことある?」と聞いても知らない。
全くないわけじゃないんですけども、そういう(裏の世界で)一流の人としては上がってこない。
過去なんかやらかしたかということで、彼は実際には懲役受けてるわけですけども、さほど注目するほどもない事件なので、我々は気にしてなかった。

そういうことで「凄い凶悪犯」というプロフィールからすると何か違う。
それで彼に会うと、さっきも言ったように「無理だ」という心証を持った。
「こいつには無理だ」という心証は今もって変わっていません。
それはどういうことかというと、彼は実際にやってるので無理では無かったんですけども、それは「別人がいるんだろう」と思っています。勿論同じ人ですよ。
何故そのように思うかというと彼のそれ以後の行動、或いは彼は「息をするように嘘を吐く」と言われてる訳です。
余り断定的な話をする訳にはいかないんですけども、私の半世紀ぐらいの人生経験からすると「近寄っちゃいけないタイプの人間」に分類される人なんです。

それはどういうことかというと、「右向いてる時にしゃべってることと左向いてる時にしゃべってることが全然違う」、或いは「それはその時の言い訳のために作った虚構だったはずだよね」と云うことを、さもホントのようにしゃべるとか、そういったタイプの人が世の中にいるわけです。
彼はまんまその通りだったようで、「無能な彼」と「実は頑張れば出来る彼」というのが同居してるんで、彼が冤罪だろうと思ってた人の持ってたイメージというのは、まさに彼(の一面)が持ってるわけです。
それとは別に彼はああいうことが出来る能力を持っている。

単純に2重人格、多重人格的なことを言うのは、我々は専門家ではないので言うべきではないんですけども、そういうタイプの人だということが、それから後のやりとりで分かった。
それで心理学の人の話を聞けば色々出てくるんだと思いますが、凄く優秀な彼としてやった最後の真犯人メールが、実は無能な彼がやってしまっている。
結局は同一人物ですから、凄く優秀な彼が仕組んだ凄く上手に見えた完全犯罪を、無能な彼がひっくり返してしまった。

ただ私達が最初に持ってた、「彼は無能だ」というイメージは実は違ってはいなかった。
無能であるがゆえに、彼は自分の足を踏んづけてしまった。彼のアナログなところのミス(河川敷スマホのことか)だと思う。

(生越氏発言採録以上)
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生越氏からも「2重人格、多重人格」の話が出てきている。
しかも、特に生越氏は技術的資質の2重性を指摘しておられ、当方が昨年から注目していた「能力の2重性」と云うことが、技術者採用の経験が豊富で見る目が研ぎ澄まされた生越氏による見方でも裏付けられたことになる。

ただし、発言の前半部分である昨日記載分では、「無能な彼」と「出来る二流の彼」と述べておられるが、上記の後半部分では後者が「実は頑張れる彼」になって、最後は「凄く優秀な彼」となっている。
これは彼が犯人と分かって、実際にiesysを作れたということで、生越氏から見た評価が上がったと云うことではないかと推測する。或いは、「無能な彼」との落差で、他の一面は「凄く優秀な彼」と見たのかもしれない。

しかし、第一印象を重視して「無能な彼」と「出来る二流の彼」という2重性を考えると、特徴的なことが浮かび上がってくる。
それは、普通2重性(又は二面性)というと、「平凡な人」と「実は凄く優秀な人」というような落差を思い浮かべると思うが、生越氏印象の「無能」を「三流」に置き換えると、「三流の人」と「ちょっとマシな二流の人」というぐらいの落差になってしまう。
つまり、「大した差がない」というか、云ってみれば「どうでも良いような差」にも思えて、一般に2重性(二面性)という言葉から受けるイメージと違ってくるのではないか。
この辺は明日考察予定。

以上
[追記]
昨日記事の前半部分発言の最初の方で、デジタル証拠について以下のように述べておられる。
<今回の事件の中心的なことにも関わることですが、ネットというのはまともな証拠が何も残らない。たまたま痕跡が残ってても、それが本当の痕跡なのか、単なる幻なのか、実のところ誰にも分からない。それが電子的な情報の本質なんですね。>

これは一般的には確かに言えることであるが、本事件に関してはどうだろう。
当方は以下記事で「本事件は本来昨年5月ぐらいまでには容易に解決していた」ということを書いて、具体的根拠も挙げた。他にもまだそのような証拠はある。
”解明されていたこと” 2014/11/17

つまり、本事件は「決定的証拠がなかった」と云うように言われる向きもあるが、実際は以下が真相と考える。
本事件は「決定的証拠」が色々あったにも関わらず、検察側がそれを上手く使えなかった
或いは「検察側が適切な説明をしていないので、決定的証拠があることが伝わっていない」とも言えるだろう。
このことは今後更に書いていきたいと考えている。

追記以上