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専門家会議廃止までの内幕

専門家会議が「廃止(西村大臣談)されたが、同会議の内幕の一端が出て来ている。

”コロナ専門家会議が解散するまでの一部始終 釜萢敏日本医師会常任理事が語る反省と課題"6/30

https://toyokeizai.net/articles/-/359804?display=b

専門家会議の前身の組織として、厚生労働省が「感染症対策アドバイザリーボード」を最初に開催したのが2月7日だった。その直前の2月3日に横浜港に寄港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」での集団感染への対応が当初の最大のテーマだった。>

→発足の経緯は、こういう流れだった。そして、同号での対応評価を述べている。

クルーズ船で集団感染が起きたのは横浜港に寄港した2月3日よりも前がほとんどであり、2月5日に乗客の個室隔離を開始して以降、感染拡大はコントロールされた。このことは、その後の検証でもわかっている。クルーズ船への対応は全体としてはよくできたと思う。>

→「全体としては良くできた」という自画自賛は置いておいて、「集団感染が起きたのは横浜港に寄港した2月3日よりも前が殆ど」だったことを、内外に適切に発信できず、日本の信用を大きく落としたのが、まず最初の大失敗。

寄港前に殆ど発症と言っても、国内外ともに信用しないのは当然だから、最初にPCR検査を10人でも20人でもサンプリングでランダムに行って、感染を掴むことが必須だった。

これは科学の基本的考えから出てくることであり、科学的常識の対応だが、それをやらなかった。「まず発症している人優先でPCR検査を急いでやる必要が有った」などの理由が出て来ると思うが、そういうお涙頂戴的な話に流されないで科学の客観性も貫かないと、結果的に後々失敗になる。サンプリングをやれるギリギリの数を考えて、それで周りを説得して実施すべきだった。

最初のミッションで失敗しており、その後の「ピークアウトしてから緊急事態宣言発令、しかもそれが充分認識できた後も延長」などの失敗は、この組織では推して知るべしだった。

新しい組織(分科会?)は、「日本の知力」が問われると思う。

以上