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盛土不可能は元からで、いつ誰がそれに気づいたかの調査が重要

豊洲の件は今や誰でも知っている話題になった。昨日も知人からN建設計絡みのニュースを見て以下のようなメールを貰った。
<盛り土なしを提案したのは、実施設計をした設計会社だという書類が見つかったと聞いている。実施設計の中で、ピットを設け盛り土をしないという極めて合理的な判断をした。
マスコミの追求は、地下空間は重大な建築上の欠陥であるとの前提において批判を続けている。この地下ピットを設けるという設計が極めて合理的な判断であった場合、マスコミは、それでも誰かを批判し続けるのだろうか。>

実情をこれまで説明したつもりだったが、この認識だと例の「英知」のような話になってくる(苦笑)
しかし、これを見て当方の説明で伝わっていない部分が分かった。

関連で、小池氏は期待外れの報告書を受け、所信表明で改めて「誰が、いつ、どこで何を決めたのか、を明らかにしなければならない」と述べた。世間一般も責任問題に関心があるから、「誰が盛土無しを決めたのか」という点に一番焦点が当たる。

しかし、当方は繰り返し述べてきたように、「ベンゼンのような揮発性物質遮蔽可能な盛土は基礎構造有りの状態では実質的に不可能」と云う認識。この元からの「実質不可能」は動かせない事実だから、決定したり判断したりと云うよリ、要は「誰が不可能に気づいたか?」という見方をして来た。

それに対して本日上記メールや小池氏発言、世論反応などから考えてみて、一般的には違う見方があることに気づいた。
まず「盛土有りと無しの選択肢」があり、土壌汚染対策を検討した専門家会議は提言の中で盛土実施を明記。これで盛土有りが決定済みにも関わらず、ひっくり返して「盛土無しに変える判断や決定は誰がいつやったのか?」というのが一般的な問題認識。

当方と知人の話が噛み合ってなかった部分はここにあった。「元から不可能」と云う点は、「元からの話なら関係者は当然分かっているのではないか?」と云うことで、俄には信じがたい。また、都側から盛土を提案した「マッチポンプ」という実態も、マスコミがなかなか報道せず、報告書にも記載無く公表資料でも含まれなかったため、同じく理解しにくい。結果的に全体的な流れの真相は、もっと伝わりにくい。

また、当方は盛土の有無の選択という考え方自体が無くなっていた。不可能と認識出来たら、もはや盛土有りの選択肢はない。つまり、関係者の中で出来ないと認識された時点が盛土無し決定の時期。

ごく簡略化した時系列。
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 (1)建物下盛土実質不可能…元からずっと有った状況
 (2)東京都盛土対策…2007年5月第1回専門家会議で都側提出資料に建物下盛土明記
 (3)専門家会議提言…2008年7月第9回専門家会議で盛土有り提言
   ----この間で盛土不可能性に気づいた人がいた?或いはもっと前?----
 (4)技術会議説明…2008年12月第8回技術会議で都側よりモニタリングと浄化作業空間説明
 (5)地下構造検討図…2009年1月4種類の構造検討図有り、全て盛土無し
 (6)具体的設計…20011年6月基本設計図に盛土無し
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結局(3)と(4)の間、或いは(3)の前にも「建物下盛土不可能」に気づいた人がいて、「盛土無し」に動いたのではないか。そのため、(4)以降は「いつ誰が正式に盛土無しを決めたのか?」という特定になるが、実際に盛土無しに動き始めた頃の経緯調査が、より重要になることは言うまでもない。

以上
[追記]
昨日の4種類の地下構造図(以下に再掲)の詳細検証によって、色々分かってきたことが有った。まず、これら構造図は本文の時系列でも記したように2009年1月付けで、どれも盛土無し。昨日報道のN建設計図面は2011年1月だが、二年前には盛土無しの図面が有ったことになる。これは本文のように「盛土の不可能性に気づいた」時期と「正式に盛土無しが決まった」時期があると考えれば説明がついてくる。(なおN建設計関係者が「この盛土無しは趣旨が違う」と証言との昨夜報道も有り)

イメージ 1


また図面にある小型重機の絵について、報告書の <「地下を活用した場合の簡単なポンチ絵として描いた」との証言がある >という記述は先日記事で紹介済み。しかし、A案でミニユンボ用に「H=3mは欲しい」と注記があるのに、高さ2mのモニタリング空間でもミニユンボの絵が入っている。

本来3ヶ月毎にトータル2年間のみ実施予定の指定解除申請用モニタリング向けには、広大過ぎて違和感がある空間に対して、苦肉の策で小型重機を描いておいたのではないか。本文で述べたように、盛土不可能と気づいた後は何とかして盛土無しの理由を付けたい。モニタリングは丁度良かったが、それだけでは説明がまだ付かなくて小型重機を考えてみたというような事情だったのではないか。

このような状態を昨日は「盛土無し症候群」と書いてみた。それが妥当かどうかは別として、誰かが盛土不可能に気づいてしまったら、盛土無しの方向に持っていくしか無かったと思われる(但し変更周知は必須だった)。

また、いざ空間が出来てみると天井が高くて多目的に使える。例えば、森山氏と高野氏らが「連絡通路問題」を以前取り上げておられた。これも本来は重大問題で、当初1階を高床式にしようとしていて図面も出来ていた。しかし、高床の1階同士をつなぐと連絡通路が高架橋に当たる。それで急遽高床式をやめた流れがあるようだ。

その際に1階の床下に考えていた配管スペース等を地下に入れても、高さの有る地下空間は呑み込んでくれて、都側の設計ミス?もカバー出来たのではないか。当初の高床構想が消えた経緯調査も重要。

この地下から地上までフーチングを伸ばした特殊な構造の基礎ピロティ空間は、後になるほど便利で多目的に使えた良いアイデアのスペースだったと思われる。今になって盛土問題や構造計算上の懸念がなければ。

追記以上