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上林氏とM教授(前半憲法問題)

昨日「報道ステーション」において、”憲法9条を発案した総理幣原(しではら)・マッカーサー会談の真実”という特集を放送していたので、表題の件の前にまず憲法問題の続きから。必要ない方は後半まで飛ばしてください。
上記特集は本年2月の以下特集を焼き直したものと思われる。
<「幣原総理が憲法9条の発案者」でマッカーサーもそれを認めています。>

しかし、大発見のように言っているが、もっとずっと前に幣原氏からの聞き取り結果は以下のように憲法調査会事務局から公表されている。
<「戦争の放棄」を謳った第九条の成立に大きな役割を果たしたとされる幣原喜重郎元首相が、亡くなる直前に戦争放棄条項などが生まれた事情などについて語っています。聞き手は衆議院議員であり、幣原の秘書官であった平野三郎氏>
----幣原元首相聞き取り抜粋開始----
武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かということである。武装宣言が正気の沙汰か、それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。
 要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。…
強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。
----抜粋終了----

「非武装宣言」(=本来の9条趣旨…吉田首相らもこの考え)は、「狂気の沙汰」と言っておられる。これは非常に重い。国家にとって「非武装」というのはそれだけ異常と云う事。国の存立にかかわることだからマッカーサーでさえ容易には言い出せなかった。軍人だから当然。
しかし、幣原氏は「天皇制存続」を優先して「非武装」を選んだ。なお、この場合の天皇制存続は、「日本そのものの維持」と当方は捉えている。
「狂気の沙汰」を日本に強いることを幣原氏は個人的に決断してマッカーサーに申し入れたと思われる。物凄い覚悟。それに対して昨日も出演していた憲法学者の木村草太氏などは、「9条の例外として13条で個別的自衛権は許容される」とか、幣原氏などの覚悟を踏みにじるねじ曲がった後日の政府解釈に安易に乗って詭弁を振りまいている。この辺の解釈のおかしさはまた書いてみたいが、憲法問題に関心有る方は是非上記幣原氏聞き取りをお読み頂くと参考になると思う。

----本日後半----
さて、ここから国立競技場問題になるが、前半の憲法関連からの流れで幣原喜重郎氏と木村草太氏の覚悟の違い(そもそも比べられるレベルではないが)を思う時、では上林氏はどうとらえるべきか。それを考えるに当たって、4月16日産経新聞記事を改めて見てみる。上林氏の趣旨は、タイトルに「命題」を置いて、大きくは三つの根拠で命題証明を試みていると思う。
----上林氏命題と記事における証明----
[命題] 「故ザハ・ハディド女史が訴えてきた「著作権」に効力はあるのか?」 (この命題設定に対して「効力は無い」というのが上林氏主張になる)
・根拠1…<JSCが求めているとされる著作権の譲渡については、国内の建築設計契約では「権利の譲渡」はほぼ必ず含まれている内容です。>→よってZHAとの契約でも著作権はJSCに譲渡されていると思われるので、ZHAは著作権主張出来ないはず
・根拠2…<日本の国内法においては、機能的なアイデアはそれ自体として保護の対象にはなりません。ザハ氏のアイデアについても保護の対象とはならないでしょう。>→裁判を行う場合は日本国内裁判所なので保護対象にはならない
・根拠3…<結果的に「柱位置の類似」と「観客席配置の類似」が同時に起こることとなります。・・・それぞれのスタンド傾斜はほぼ自動的に決まり、似通ったものとなります。>→条例や見易さ配慮などから同じようになってしまうので流用では無い
----命題終了----

しかし、実際は以下のようになることを当ブログでこれまで述べて来た。
・根拠1…JSCの契約基準では著作権は受注者帰属又は受注者と発注者に共同帰属であり、譲渡必須にはなっていない。国交省官庁営繕部なども同様の規定が基本になっている。この時点で上林氏の譲渡が殆どという論拠は怪しくなる。そして実際にザハは権利主張している→上林氏が多くの公共工事契約例を示せて、仮にその全部が譲渡になっていたとしても肝心のJSCとZHAの契約は受注者帰属が有り得るので、実際の契約書が出て来るまで判定出来ない。
・根拠2…ザハ案自体は著作物で、内部構造も「薄い著作権の理論」を入れると保護対象になる可能性が出てくる
・根拠3…一致点だけでも数多く、それらが全部偶然に一致した確率は非常に低くなる。それに更に多くの類似点が加わる。ZHAだとどれぐらい出せるか分らないぐらい。

他の上林氏論点もこれまでの当ブログ記事で否定して来ているので、結果的に「ZHAの著作権に効力は無い」という上林氏命題は証明できていない。むしろデータ入手の容易さ等も考慮すると否定される可能性が高まる。後は今後同氏から反証が出て来るか。
この状況で後半冒頭の「上林氏をどうとらえるか」を考えてみる。誰かからの依頼等の背後関係有無で分ければ、まず「無し」だとすると個人の考えで無理な命題証明に挑んで破綻している。類似性の論議でも図説無し。また国交省営繕部等の契約基準で条文AとBが有り、受注者又は共同帰属の条文Aが基本という肝心な事実を示さないまま論考しているのは極めて重大なミス。このような状態では設計者としての能力と信頼性にも疑問符が付いてしまう。「有り」だとすると、無理な依頼を遂行するために(当方とのやり取りを含め)事実との相違や詭弁が多くなったとはいえ粘って取り組まれたことになる。両方を比較すると能力を尊重して後者かなと云うことで、「バックに誰かの依頼があった」という推測で一昨日の記事を書いてみた次第。

M教授に関してはゼミHPを見させていただくと、専門が「スポーツ政策論」で、受賞・著書・論文等も数多い非常に有能な方とお見受けした。行政ともご関係が深く、検索すると以下の活動例がある。
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・各種委員会の委員多数文科省スポーツ庁、東京都、地方公共団体等)
・遠藤大臣ヒアリング参加(昨年8月)
・内外ニュース社保守系)雑誌に新国立競技場記事執筆(昨年12月)
<海外のスタジアムやアリーナが民間の力を借りて運営に成功した例を報告した。政府は2020年東京五輪パラリンピックのメーンスタジアムとして建設する新国立競技場の大会後の利用や運営について検討を進めている。>
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幅広い人脈をお持ちの中で、社会人経験がある上林氏はゼミ生としてだけでなく、協力者的立場もあると思われ、例えば遠藤大臣とのヒアリングにも同行しておられる。
<日 時:平成27 年8 月20 日(木)9:05~9:50 
出席者:M氏(早稲田大学教授)、 F氏(早稲田大学助手)、上林功氏(早稲田大学大学博士後期課程) >

このような環境の中で、何らかの形で上林氏に政府や自民党関係者などから依頼があったことは考えられるのではないか。その際にM教授については関与有無も全く分からないが、幅広い人脈に上林氏も接する機会は多かっただろうという意味で一昨日記事は書いた。

ただし、M教授も関与有り無しのどちらでも問題が出て来る。上林氏が個人的に誰かに頼まれて書いたとしても、ゼミ生が対外発表する場合は指導教授にも見せて許可を取っておくことは常識の話だろう。もし確認とらずに出していたら教授の方も監督責任を問われる。そして内容見ていたなら、上記のような多くの問題点にお気づきにならなかったのだろうか?と云うことになる。
非常に優秀と想定できる方だから、これだけ分りやすい問題点は本来なら当然察知なさると思う。そうなると、やはりバックに何かあったのか?と云うことになって、どちらでもマズイことになる。

関連して更に不思議な点が出て来た。4月13日産経新聞記事では類似性を指摘している代表的人物として故ザハ氏と並んで「伊藤豊雄」氏と「森山高至」氏の実名が出ている。その上で、両氏が挙げている<「柱位置の類似」「観客席配置の類似」「スタンド傾斜の類似」>について、流用では無く条例等の制約や見易さなどから同じになったとしている。
つまり、両氏見解を真っ向否定。伊東氏とM教授・上林氏の関係は分らないが、森山氏とM教授は新国立問題で同じ番組に出られていたり、大学繋がりも有って旧知の仲だろう。結果的に指導教授の知り合いの重要な主張をバッサリ斬ったことになる(しかも産経新聞という一応全国紙上)。ゼミ生の腕試しで「自由にやって良い」と云うことにしたのだろうか。しかし、主張は明らかに両氏の方が正しいと当方も確信する。M教授はどのようなご見解だったのだろうか。
また上林氏はスタジアム設計家だから、伊東氏や森山氏より本事案に対しては専門家と云うことになる。内容に問題がある批判でも世間的には専門家の主張の方が通りかねない。その辺はM教授も充分理解されると思うが、それでも容認されたのだろうか。
このようなところまで不思議なことが起きるとは思わなかった(苦笑) 毎度感じることだが奥が計り知れない事案である。

以上
[追記]
上林氏が「聖火台」の記事を出された。内容としては、例えば以下のような部分がある。
<建築設計者の発想としては、どんな演出になったとしても対応できるようにデザインせざるをえず、「これから設置位置を考える」「聖火台はどこにでも置ける」としたコメントは間違っていないでしょう。ただ、世間でこうした批判が起きていることを踏まえれば、あらかじめ「聖火台は演出の一部なので、どこに設置するかは決まっていませんよ」とアナウンスをしておけばよかったのかもしれません>

これも隈氏フォローのように見えてしまうが、その前に先月末政府の聖火台WTが出した<フィールドか競技場外>の見解がある。当然見ておられると思うが、スタンドや屋根設置は技術的課題等でWTが避けており、どこにでも置けるという話とは余り整合性が有るとは思えない。また、この記事を出稿した後に著作権や流用問題での当ブログへの反証なども出て来るのだろうか。

なお、話は全く変わって、当ブログをよくご覧になって頂いていると思われるる方から、ブログ体裁についてご提案を頂いた。非常にありがたい。当方もYahoo!のせいにするわけではないが、Yahoo!ブログはフォントなどの設計が古いままではないかと感じている。ただ、設定変更の仕方が見つけられていない。また、当然ながら当方の書き方も課題は多いので、出来るだけ工夫して見やすくすることを考えて行きたいと思う。

追記以上