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新国立競技場問題から思うこと

新国立競技場問題(以下「新国立問題」)の検証を行っていると、日本の抱える根本的問題が投影されているように思える。そして国の根本を成すのは憲法憲法記念日にちなんで今まで感じたことを思いつくままに記そうと思う。ただし、このような分野を好まない方もおられると思うので、その場合本日記事は飛ばしてください。

1.筋を通す
新国立問題検証ではずっと「筋を通す」ということを書いてきている。国として真っ赤な嘘をついてまで、五輪後も長く残って使われる国立競技場を建てるのは筋が悪すぎると思う。
ただし、考えてみると日本では憲法に関しても虚偽状態が続いて来ている。現憲法は本来自衛権・自衛力も放棄していた。吉田首相や当時の憲法担当大臣が明確に国会答弁している。
-----吉田首相他答弁抜粋(他にもまだ有る)----
第9条制定時の吉田内閣の説明
◎第90帝国議会衆議院帝国憲法改正案特別委員会(1946年6月28日)吉田茂内閣総理大臣答弁
戦争抛棄(放棄)に関する憲法草案の条項に於きまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思うのであります。・・・
◎第90帝国議会衆議院帝国憲法改正案特別委員会(1946年7月15日)金森徳次郎国務大臣憲法担当)答弁
唯実際に於きまして若しも国内治安維持の為の警察力と云うことに言葉を藉かりて、陸海空軍の戦力其のものに匹敵するようなものを考えますならば、やはり此の憲法第9条違反となります。運用の上に於きましては誰が見ても警察権の範囲と認め得る程度に於て実施すべきものと考えて居ります。
-----抜粋終了----

ここまで明快な答弁でありながら、その後改正もないままに「自衛」隊を保有し、今や国民の多くは合憲と思っている。これほど筋の通らない矛盾はないと思うが、それが日本人の特質なのだろうか。もしそうだとすると、新国立競技場もこのまま進んでしまうのは止むを得ないか。そのような意味においても今後の建設が実際にどうなるか注目しているし、微力ながら筋が通ると思える方向で当ブログを書いている。

なお、以前の日本人は現行憲法制定時においても筋を通していた人たちがいた。「憲法研究会」という在野の学者らのグループが作った憲法草案要綱をGHQが参考にしたという話が有る。これを「護憲派」の中では「押し付け憲法ではない」という証拠として重視する人たちがいて、「改憲派」の「押し付け憲法だから改正必要」という主張への反証としている。
しかし、両陣営とも実際にはこの草案をよく読んでいないと見えて、一番最後に以下の条項があることを無視しているようである。
・・・
一、此ノ憲法公布後遅クモ十年以内ニ国民授票ニヨル新憲法ノ制定ヲナスヘシ

公布後遅くとも十年以内に国民投票によって新憲法を制定すること」と書いてある。つまり、占領下では「暫定憲法」という位置付けにならざるを得ないことを的確に見通していた。公布後10年後だと実際にも占領解除が行われた後になり、この頃に新憲法を制定するのが筋の通った対応だった。そうすれば前述のように自衛権放棄の明確な答弁が有るにもかかわらず、後になって自衛隊保有することを解釈で合憲扱いにするという、憲法をないがしろにするようなことをせずとも済んだ。
日本人は現憲法制定の原点に立ち返り、憲法研究会の方々の賢明なる見通しに沿って、遅ればせながらでも新憲法制定に取り組むべきと思う。なお自民党憲法改正草案は、とても通せるレベルではないと思われ、今後の方々に期待したいと思っているので、当方として世代論に注目している面がある。

2.専門家の嘘
新国立問題では、建築の大家が真っ赤な嘘を押し通そうとし、更にこのところの検証では気鋭の設計家と思しき専門家も、虚偽の主張によってフォローしようとしている模様。技術者でもない一般の方々は、専門的言説の虚偽を見抜くことは難しく、誤った認識を持ってしまう可能性が有ったので当方としても粘って事実関係を明らかにしてみた次第。
憲法問題でも専門家の「でたらめ」と言ってよいと思えるぐらいの主張がまかり通っている。例えば前述の自衛権の問題でも学者は以下のようなことを言っている(この発言者は小林節氏)。
自然権というのは、つまり、天然、自然に存在するという意味です。人間が人間である以上、条文に書いてあろうが、なかろうが、自然権は有しております。ということは、人間集団の国家である以上、天然、自然に持っている権利は、独立主権国家であるならば、条文に何と書いてあろうがあるまいが、当然に持っていることになる。だから、憲法9条で「戦争を放棄します。戦争概念を否定します」と言っても、不当に侵略戦争の相手にされたら、自衛戦争自然権としてできる。これは国際法の常識です。>

もし実際にも憲法条文に自衛権について書いてなかったら、「自然権」が存在するという理論で説明できる可能性も有るだろう。しかし、現憲法は敢えて自衛権を否定すると思われる条文(9条)を明記し、それを前述のように総理大臣らが国会の場で明確に説明している。つまり、敗戦直後で占領下という非常に特殊な状況において、「国際法で認められた自然権としての自衛権も放棄した憲法」を持った。これが論理的帰結で、条文とも総理大臣らの答弁とも整合性が取れる。これぐらいのことが分らない人が憲法学者と称している。
占領解除や国際情勢の変化等で自衛力が必要になったから、苦肉の策で政府(や最高裁)が自然権を持ち出したのは明白だが、その無理筋の主張を小林氏のような学者は認めてしまっている。同氏は他にも色々矛盾したことを言っているので機会を見て一つ一つ明らかにしてみたいが、このような学者の存在で日本社会全体にも誤解が広まっていることは大きな損失。
新国立問題でも旧新計画共に、まだまだ誤解は多く存在するし、誤解させようとする人や勢力も出て来るだろうから、出来る限り真相を明らかにしていきたいと思う。

3.適切な調査・検証の重要性
憲法については国会において「憲法調査会」を延々とやっていて、膨大な資料がWebにも上がっている。しかし、適切に評価すれば上記のように「新憲法を制定すべき」という結論は早々と出て来る。それを結論が出せないまま、いつまでやっている。国会議員のレベルの問題が大きいか。
新国立の旧計画においても、調査・検証を行った「検証委員会」が中途半端だった。文科省の誘導も有って白紙化経緯を検証対象に挙げず、それが巡り巡って現在の著作権問題にもなっている。ザハ案の基礎構造問題を明るみに出していれば、ZHA側に押されるだけでは無くなる。また、工費問題だけでなく構造欠陥のために白紙化せざるを得なかった(と考えられる)事情も国民に明らかにすれば、緊急対応が必要なことも理解してもらえる。
過去の充分だったとは思えない原発事故調査や新たに出て来る様々な事故の調査なども考え合わせると、「調査・検証」を職能として確立することが必要なようにも思える。特にいつも出て来るのは検察官・弁護士等の法曹関係者だが、技術者の立場からの検証が今後更に重要になると思う。その際に法曹関係には資格があるが、技術者には技術士資格があるとはいえ、検証と云う職能は元々考えられていない。検証のレベルを上げるためには何か制度的な仕組みが必要なようにも思える。
非常に難しいとは思うが例えば現実的にも最近の三菱自動車の問題がある。なぜ何度も深刻な問題が起きるのか? 本質を明らかにすべきと思うが、今後設置する外部委員会にはどのような委員が選任されるか?、どこまで解明できるか?、注目していきたいと思う。特に当方が今気になっているのは昨年報道された、「開発に失敗した担当部長2人諭旨退職」と云う件との関連は無いのだろうか。今まで聞いたことの無いような処置であり、裏も有りそうで今回の件とはつながりは無いのだろうか。
新国立の展開も今後どうなるか分らないが、その他の問題も随時書いてみたいと思っている(STAP問題もどうなるだろうか)。

以上