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磯崎新氏の「排外主義」記述、及び槙文彦氏らの排外行為?

昨日言及した磯崎新氏の追悼文では「世論の排外主義」と無茶苦茶なことが書かれている。一応「巧妙に操作された」と前に付けているが、結果としては「日本の世論が排外主義だった」と言ってるわけで、「国民に対する侮辱が公然と述べられている」ことを軽視すべきではないと思う。

確かにザハ氏は例えば以下のようにコメントしているが、明らかに日本国民ではなく、日本の建築家たちへの痛烈な批判
<彼女はdezeenのインタビューにて、日本の建築家たちを外国人嫌いの偽善者と批判しています。
「東京の”国立”競技場という建物を外国人に作って欲しくないだけなんですよ。それなのに、妹島和世伊東豊雄槇文彦磯崎新隈研吾といった建築家全員が、海外で設計をしている」>

これを磯崎氏は日本世論の話にすり替えている。余りにも身勝手で、当方には「卑劣」以外の言葉が思い当たらないが、多分ご本人は無邪気にそうお思いなのだろう。日本人は基本的に慎重な国民性の裏返しで、(余りよく考えずに)思い切った(ような)ことを言う人を尊重してしまう傾向も有ると思う。確かに、そういう人も必要だが、場合によりけり。「日本世論が排外主義」と容易に受け取れる内容を、そしてそれは事実と反するのに、わざわざ英語にして海外に発信している。常軌を逸しているとしか思えないが、磯崎氏の功績もあって許容されてしまうのだろうか。しかし、ご本人には大家の言葉は影響力が強いことをご自覚頂いて、時と場合によっては出来るだけ事実確認をした上での発言をお願いしたいと思う。

なお、上記記事では解説として<すでに決まったデザインにも関わらず、反対する人の数はみるみる増え、ついには一般の人までもが反対するようにまでなっています。>とあって、一般の人にも言及している。しかし、世論は最終的に殆どが費用金額の高さと不可解な上下に対する批判だった。
反対の切っ掛けは、良く知られているように槙文彦氏が2013年8月に発表された「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」という論考であり、景観論議がメインだった。同年10月には同名のシンポジウムも開催され、発起人30人以上の殆どが建築家で、その中にはザハ氏の上記批判に出てくる人もいた。
その後毎日新聞で3000億円報道が出るなどして費用問題が注目されていったが、元は建築家たちが作った流れだったからこそ、ザハ氏が上記のような「日本の建築家」批判を行った。

また、槙氏は途中から人数を絞った「槙グループとして主に活動し、費用問題に関しても2015年6月には政府に対して「キールアーチ取り止め」の提言を行った。
「低いキールアーチ構造がコスト高、長工期の原因である」 平成27 年6月1日 槇グループ(槇文彦、大野秀敏、中村勉、元倉真琴、山本圭介、古市徹雄) 

その中で以下の記述がある。
<⑤ 現行案は大幅な変更となるが、設計体制については、デザイン監修者以外の設計・施工体制は継続して設計、建設にあたることが可能である。(JSCとデザイン監修者との契約変更については、国民の納得のいく方法で行う)。>

これはザハ(ZHA)外しと受け止められるのではないか。更に同提言の比較表の中にはもっと直接的な表現が用いられている。
イメージ 1

監修者抜きの日本チーム」と公言したら、排外行為と見なされても仕方がないレベル。国際派と目される槙氏を中心とした提言で、このようなことが行われていた。
ただし、槙氏らも本来は排外主義などでは無いと思うので、ここまで言うのは「ZHAをどうしても外さなければいけない理由」が有ったと推察するのが妥当だろう。今からでも真意を語って頂きたい。以前から書いてきているが、新国立競技場問題における槙氏の一連の言動には不可解な面が色々ある。日建設計ともども、国民のため、真に建築設計界のために、経緯を明らかにして頂きたいと思う。

なお、槙グループは白紙見直し後にも新計画に向けて提言を行っている。
<グループは今後の整備計画についての4つの提言を公開した。
 〈1〉施設規模 五輪会期中の最大約8万人の収容人数を会期後は5~6万人とすること
 〈2〉中心機能 どの種目の専用施設とするかを早急に決めること
 〈3〉工費 当初の建設整備予算である1300億円で十分であること
 〈4〉適切なプロジェクト遂行 設計施工者の選定は過程と結果の透明性確保が重要であること
 これらを近く政府に提出し、ひとまず活動を締めくくる。>

この中で特に(4)の選定については、流用問題に対する「I'm not sure」というような曖昧な態度は止めて、採点不明朗や個別点数非公開なども併せ明確な見解を出して頂きたいと思う。前述のように新国立競技場問題を提起し批判の流れを推進した槙氏には、まだ締めくくらないで向き合うべき責任がある。

以上