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登場者検証14 「二人の記者」

本日は記者さん2名の話。偶然にも昨日に引き続き、ご両名ともアラフォーだが、この年代が社会において実務の中心になっている表れともいえそう。( )内は生年。

まず一人目は東京新聞森本記者(1978年)で、先日当ブログにおいて同記者による流用問題の記事を紹介した。まだ慎重姿勢のようで追及が物足りないとはいえ、ようやく「本当のこと」を報道し始めるのではないかと思った。しかし、記事を再度見てみると<梓設計など四社で共同企業体(JV)を組んで旧案の設計に当たったある設計会社の幹部>からの話が書かれている。この立場の人に聞けるなら、流用問題も確認すれば「真相=CADデータも含めた流用有り」を話してくれる可能性も有るのではないか。
また、JSCにも以前から取材を重ねているのだから、議事録に明記がある「旧計画の最大限活用」について、その趣旨と実際の結果を聞いてみることは可能と思われる。ちなみに聖火台問題もザハ案ではどういう構想であったかJSCに確認して貰いたいところ。
今は同記者の取材力が活かせていないようで、もったいない。或いは、同記者の意向だけでは動けないような東京新聞内における何らかの「空気」があって、自主規制のようになっている部分があるのだろうか。

続いて、元huffingtonpost japanの伊藤大地記者(1980年)。
当方個人的な話として、以前書いたようにネットメディアから昨年末「話をお伺いしたい」という依頼があった。その依頼主が実は同記者だった。了承を伝えたが、年が明けてもこれまで連絡が無い状態。しかし、当方が話せることはブログに書いており、必要ならそれを元に記事にして頂けば良いと思うので、こちらからは特に連絡をしていない。
ただし、昨年までは新国立競技場問題を熱心に追いかけていた同記者だが、今は記事が無くなっているようである。同記者は昨年11月頃に別のネットメディアの副編集長に移られたようで、その件でお忙しかったことが想定できる。それでも、もう3月も半ばを過ぎたし、特に話を伏せるようにも求められていなかったこともあり、ネットメディア動向の参考として公表させていただいた。
なお同記者Twitterプロフィールの変遷履歴がネットにあった。

イメージ 1

これで注目されるのが、プロフィールにずっと入っていた「国立競技場問題に興味がある」という記述で、3月1日に削除した?ようであり、現在は入っていない。 個人のものだから、どう変えようと全く構わない話であるが、「新国立競技場関連の記事を書かないのでプロフィールからも外した」ということだったら残念。もしかすると、「別の社でやっていたことには配慮して当面やらないようにする」というような事情なども有るのだろか。

なお、この二人の記者には期待しているので、思い切った真相報道をやって頂きたいとは思うが、やはり会社の壁は厚いか。また、新国立競技場問題は、他にも多くのメディアが取り上げてきたが、流用問題や審査疑惑で証拠や証言があっても動きが鈍い。今の空気はそれほど重いのだろうか。ZHAの動きがなかったら、散発的かつ曖昧な形での真相報道はあっても、全体的にはこのままフェードアウトする方向なのか。

以上
[追記」
今後の展開について、参考に「遠隔操作事件」のことを書いてみる。同事件では被告が公判中に自演メールを送ってバレてしまい、結果的に自供したことで2014年5月決着したことはご存知の方が多いと思う。(当ブログに詳細経過も有る)
当時裁判の方は検察側と弁護側のせめぎあいが続き、前半は検察側の証拠が想像以上に多く優勢だったと思うが、その証拠を読み違えている部分もあって、自演メールが無ければ後半は弁護側も強力な反論・反証を用意していた。情勢的には、一番身につまされていたはずの被告本人の読みで「五分五分」だったと収監された後に証言していた。
もし、裁判が続いていれば地裁判決がどのような結果になっても、高裁・最高裁まで行って長期化する可能性が充分あった。それが被告の思いがけない自爆で、あっけない幕切れとなった。今回も、何かこれから予想外の形になりそうにも思えている。ただし、予想外なので予想がつかない(笑) 余り参考にならない話になってしまったが、それでも遠隔操作事件という膠着して、どうなるか分からなかった難題が予想外の展開で決着になったという事実を改めて確認してみた。

さて話は全く変わって、昨日記事中のF村氏著書に関して<あれは「オレは新幹線に乗って東南アジア開発にも便乗したいのでxxxになる!」宣言本。>とツィートが有った。確かに、昨日引用した部分の前段には「JRの時代」・「JRと道州制」・「輸出品としてのJR」というように、JRと付く項目が並んでいた。当方も違和感が有ったが、このツィートのように読めば納得できてしまった(笑)
これは当方が考えてみていた件ともつながりそう。同氏が目指す「ソーシャル・アーキテクチャ(アーキテクト)」に関して、「丹下健三氏(1913年)など→黒川紀章氏(1934年)など→隈健吾氏(1954年)など」と続く、政治や行政と繋がりが深い建築家の流れがあるのではないか。ちなみに( )内は生年で、丁度20年おきぐらいになっている。F村氏もほぼそれぐらいの間隔でつながる1976年。
同氏は非常に上手い線を狙っているかも知れない。その布石としてまず外側からJRを対象にして、徐々に中枢に入っていく。JR東はお金と開発案件があるし、同氏は大宮駅のプロジェクトにも絡んでいるとのことでピタリと合う作戦。政治や行政も次世代のアーキテクトを求めているだろうから、最終的に思惑が合いそう。
これは当方の勝手な読みだが(笑)、やはり各世代も結構逞しいようである。ただし、同氏は上記流れの系譜につながるには線が細いような気もするが、以前から線はだんだん細くなってきている傾向のようにも思える。それでも今の隈氏の開き直りの見事さは、多分歴代の中でも相当大物クラスではないか。
なお、上記系列は当方が知っていた建築家と今回知った人をピックアップして生年を入れたら、丁度20年ぐらいの間隔だった。 関心を持っている「世代論」の一環として試験的にやってみたら、たまたま上手く嵌ったという次第。

以上