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JSC関連検証「旧計画:デザイン監修契約」「新コンペ:訴訟リスク」

JSCは旧計画の混迷で独立行政法人始まって以来という最低評価「D」を貰ってしまったが、良く分かった上で進めていた内容も多いと思う。運が悪かった面は多分にあると個人的には同情もある。旧計画と新コンペのポイントと思われる事項で検証してみる。

1.旧計画「デザイン監修契約」
当ブログで昨年「デザイン監修契約」の実態について検証してみた記事がある。
----昨年8月14日記事抜粋開始----
ザハ側との契約においては以下の様な疑問が出されてきたと思う。
 ・ザハデザインが日本側(JSCや設計JV等)によって改変(改悪)されたのではないか?
 ・そもそもデザインを変更できるという契約はオリジナルへの冒涜ではないか?
 ・何をやっているのか良くわからないのに監修料(13億円)が高いのではないか?
だが、JSCのサイトに有る資料を見ると以下のようになっていて、一見して設計面でもザハ側の役割が大きいとも読み取れる。
ZHA事務所との監修業務契約について” JSC資料2015年01月15日(当該記事では抜粋だったが今回全部掲載)
イメージ 1

もし実際にもこの考え方でJSCが設計推進していたとすると、修正案1が殆どザハ側設計であったことも頷けてくる。同案は「ザハのコンペ案を日本側が修正した案」ではなく、「ザハ側自らが修正した案」になる。コンペ案とのイメージ相違はあっても、修正案もザハの案であるということは、日本側によるオリジナルへの冒涜も無いことになる。
監修業務費用13億円についても、金額そのものの納得性は別として、もし最初の修整案から実施設計に至るまでザハ側主導だったとしたら、或る程度高額になるのも妥当性があるかも知れない。
このように整理してみると辻褄が合って来るように思われ、もしそうだとすると誤解による実態と違う認識が広まっていたことになる。監修業務の位置付けと実際の業務内容がどうだったか調査が必要。(経緯が判明してからでないと最終的判定には至らないが、ザハ側の責任範囲が広がる可能性があるだろう)
----抜粋終了----

現在これを見てみると、その後の検証委員会報告や日経アーキZHA日本人スタッフインタビューなどで、当時の考察内容は概ね裏付けられているようである。
更に上掲資料冒頭の「一般的なデザイン監修業務の位置付け」という項目を見ると、JSCは一般論や法律、特有事情(国際コンペ)など様々な条件を考慮して進めていたようである。よって「デザイン監修者」という用語の曖昧さや、建築士法等との関連問題などがあったとしても、実態としてのZHA業務内容はJSCによって認められたものであったということになる。

ZHAが今後もし法的措置を取る場合には、NYタイムズ記事によれば対象はJSCと大成建設を考えているとのことであるが、実際は民間企業同士だと抵抗が強いから攻めやすいJSCとの係争が主になると想定される。その場合、ZHAが監修業務を超えて設計に参加していた事自体はJSC承認済みだから、少なくとも両者間では係争になりにくいと思われる。なお、ZHA側の法的措置に関する具体的動きの有無はまだ不明だし、JSC・官邸は極力裁判回避に動くと思われるが、訴訟リスクについては次項でも検証。

2.新コンペ「訴訟リスク」
JSC鬼沢理事が安倍総理の「白紙見直し表明」前に計画見直しの障壁について語っていた。
”新国立問題、JSC「デザイン変える方がリスク大」”日刊スポーツ2015年7月13日 
<JSC側にもゼロベースで計画を見直せない事情がある。 
 新国立競技場の問題では、JSCにも言い分がある。計画を見直せば、19年9月のラグビーW杯、プレ五輪に「間に合わない」と言い切る。 
 世論で叫ばれている「デザイン変更」には、大きな障壁があると鬼沢佳弘理事は説明する。
  「変更すればこれまでの設計は使えなくなる。知的所有権に抵触するからだ。・・・
  仮に変更案が工期内に完成できるとし、現デザイン監修者ザハ・ハディド氏と契約を打ち切った場合、これまでの出来高13億円を支払う。 
その上、損害賠償などの法的手段に訴えられる可能性も指摘した。もし、工事差し止めの仮処分が科されれば、完成しない恐れもある。>

鬼沢氏は訴訟リスクを明確に認識していた。しかし、7月7日有識者会議ザハ案着工了承→7月13日上記鬼沢氏記事→7月17日安倍総理表明→7月末ZHA契約解除通告と来て、8月17日第1回審査委員会にてJSCが「旧計画成果の最大限活用」意向を明言。新体制発足は10月からなので、鬼沢氏がまだ担当理事だった時期に後々の訴訟リスクも最大になる「最大限活用(流用可)」が決まっていた。
この経過は無謀過ぎたと思う。ただし、実際に仕切っていた官邸チームもその点は当然承知していたはずで、ZHA側と水面下交渉等で或る程度合意が有ったのではないか。その構想が何かの理由で崩れて今の状況に至ったと推測するが、その理由は未だ不明。

それにしても仮にZHA側と何らかの事前調整がついていたとしても、やはり「総理白紙見直し表明」→1ヶ月→「(白紙化したはずの)成果最大限活用」と云うのは余りにも異常。まずは、この経緯を重点的に確認すべきと思うが、丁度2月9日シンポジウムには審査委員の香山氏が出席される。是非言及があることを期待したい。

メモとして当方が現在考えている疑問点を列記する。
議事録(議事要旨)[第1回委員会] 日時:平成27年8月17日”
<委員から、旧計画の関与者が有利となることはないかとの指摘に対して、事務局から、旧計画の成果を最大限活用する趣旨もあり、可能な限り参加者に資料を提示することとしており、また、競争参加資格の確認以降に、守秘義務の下で提示する資料もあると回答した。 >
このJSC発言を受けて、審査委員の認識がどうなっていたか。ポイントを考えてみる。
(1)審査委員会は「旧計画成果活用」というJSC方針を認識していたか?香山氏の認識はどうだったか?(JSCが成果活用を述べたのは、他の回の議事録には無いようなので、委員にどのように伝わっていたか)
(2)JSCは旧計画成果の「活用」だけでなく「最大限活用」という趣旨を述べているが、「最大限」とはどのような活用をイメージしたか?(当方の感覚からすると「最大限」は、「CADデータ使用・改変許可」や「旧計画情報で使えるところは全部使って欲しい」と云うようなニュアンスを含んでいると受けとれるため、単なる「活用」と「最大限の活用」は相当イメージが違ってくる、実際の審査員はどのような認識だったか)
(3)7月7日に有識者会議でザハ案に最終的GOを出しながら、同月17日に総理自ら「白紙見直し」を急遽表明をして「英断」と賞賛され、その1ヶ月に「旧計画(ザハ案)成果最大限活用」の方針が示されたことに委員会で異論は出なかったか?香山氏はどうだったか?
(4)結果的にA案の流用を委員会は知っていたのか?香山氏はどうだったか?
(5)もし流用を知らなかった場合は、JSC方針が出ているのに何故知らなかったのか?審査員は誰も審査中に流用に気づかなかったのか?
(6)流用を知っていた場合は、コンペ成立に影響しないと考えていたか? 流用部分の明示は求めなかったのか?
(7)A案決定後のザハ氏による類似指摘に対して審査委員会メンバーで何か話は出ているか?香山氏自身の見解はどうか?

これらが主に審査委員書会・審査委員・JSC・A案における疑問になるが、B案に関する疑問もある。
(8)竹中チームはザハ案情報の提示を受けたか? それを流用可能と認識したか?
(9)流用可能と認識していた場合、どのような理由で取り入れなかったのか?
(10)大成チームの流用は知っていたか?
(11)知っていた場合、工期短縮で大きく不利になるという認識はなかったか?
(12)伊東氏は、A案決定後すぐに「中身が似ている」という的確な指摘をしていたが、流用を知っていたのではないか?
(13)伊藤氏は同時に「(最初から)A案ありき」だった可能性も示唆していたが、官製談合も同氏は知っていたのではないか?
(14)A案の流用を認識していた、或いは後で認識した場合には、竹中チームはコンペに対して異議申し立てをしないのか?
etc.

以上
[追記]
以下の情報を得た。ソース詳細は不明なので裏取りはないが、これまでの検証とは符合する。受け取り方は各自にお任せするとした上で参考掲載。
<ZHAのボウルデザインは、ロンドンで、ZHAから依頼を受けたアラップスポーツが、独自のノウハウと独自のソフトを駆使して設計されたものです。>

追記以上