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旧計画再検証3 「ZHAは基本設計主導し観客席設計も行った」

旧計画について考える場合、「ZHAの位置付け」は非常に重要と思うので1月18日記事の追記で説明してみたが、やはり一般的には以下の様に「監修者」という見方が依然根強いかもしれない。
<ザハ案と言うが、ザハはデザイン監修者で、設計は日建JVであって、ゼネコンの協力関与があって、検証委員会の答申でもこれらはJSCの下に「対等の関係」にあるような図式があって、客席配置のアイデアに関して特段にザハ氏の優先的権利が与えられる根拠は見当たらない。(2016年1月22日ツィート)>

それで本日は参考資料①②を示す(後に添付)。これを見て頂ければ、次の2点がご認識頂けるのではないかと思う。この当事者証言で明らかになっている状況認識を前提に論議が行われていくことを期待。
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・認識1:位置付け名称は監修者でも設計に関与しており、特に重要な基本設計前半(日本側呼称フレームワーク設計)では設計をリードしていた
資料①ZHA内山氏インタビューより)<デザイン監修者と設計者の両方が務まるように、ザハ・ハディド事務所(ZHA)が正式な設計JVの一員として参加することも検討したが、デザイン監修者の立場のまま設計JVと協力して設計することになった。…
基本設計の前半(13年9月~12月)は設計JVの4社から数人ずつ、構造や設備なども含めて計10人ほどのスタッフをロンドンに招いた。最初の3カ月をロンドンのZHAが中心となって進めたことで、初期段階をリードする形で基本設計がスタートした>
・認識2:具体的設計ZHAは観客席(ボウル)の設計も行っていた(これも主体的だった可能性が高い)
(資料①より) <基本設計で規模を縮小したデザインでは、「8万人収容」の観客席の実現は困難だった。ZHAは座席間隔を狭く設定し、観客の快適性を犠牲にしてJSCの要求を実現した>
資料②日建設計ヒアリングより)<ZHAは屋根のデザイン以上に、スタジアムの性能を決めるボウルのデザインを主体的にやろうとしていた。ZHAだけに任せていたわけではなく、設計JVも同時にボウルの検討をしていた。調整しながら一つにまとめた>

---以下参考資料---
①日経アーキテクチャ2015年10月10日号特集記事抜粋
(以下の内容は”「新国立」破綻の構図 [Kindle版] 日経アーキテクチュア (著) ¥ 1,700 ”で読むことが可能、他にも日経アーキ会員向け記事が多数転載され、新規記事も一部あるので興味有る方は検討してみてください) 
”「施工側との不協和音で暗転」予算を明示しない発注者に振り回された揚げ句 【ザハ事務所スタッフが語る】
フレームワーク設計」から「基本設計」(2013年5月~14年5月)
指示遅い発注者に懸命に対応
――幻となった英国の設計事務所ザハ・ハディド・アーキテクツのデザイン案。最前線で奮闘を続けた同事務所の内山美之氏が実務上の苦悩を語った。設計側の視点を通じ、迷走の背景が明らかになった。
内山美之氏(以下、内山) コンペ(2012年の国際デザイン競技)の要綱によれば、ザハ・ハディド事務所はデザイン監修者となる。私たちはもっと深くプロジェクトに関わりたいと望んでいた。私たちが考えるクオリティーを実現したかったのだ。
そのために設計から工事までザハ・ハディド事務所が関わることができるよう、コンペ直後から日本スポーツ振興センター(JSC)と協議を重ねた。
 13年11月、私たちはJSCとロンドンで顔合わせをした。ザハ・ハディド事務所は12年開催のロンドン五輪で水泳競技場のアクアティクス・センターを手掛けた実績がある。JSCにロンドン事務所を見学してもらい「実施設計までしっかり任せられる事務所」と理解してもらった。
――ザハ・ハディド案の白紙撤回に当たって、設計者である日建設計・梓設計・日本設計・アラップ設計共同体(JV)との対話不足がささやかれた。役割が分担された設計チームは機能していたのか。内山氏は基本設計の初期から相互理解を深めて文化や習慣の違いを克服する努力をしたと説明する。
内山 デザイン監修者と設計者の両方が務まるように、ザハ・ハディド事務所が正式な設計JVの一員として参加することも検討したが、デザイン監修者の立場のまま設計JVと協力して設計することになった。
 設計契約上の設計期間と異なり、実際は13年9月までがフレームワーク設計、その後に基本設計に移行し、14年6月からが実施設計だった。フレームワーク設計は与件の整理とブリーフ(建物の目的や性能、設計条件などを記した業務文書)の作成が主体で、13年9月に20年五輪の開催都市が東京に決まるまで、基本設計に本格的に入る準備期間だった。
 五輪を東京に誘致できなかった場合にはデザインの大幅な見直しを迫られる。「基本設計に入るな」というムードだったため、その間に私たちはフレームワーク設計を進めた。要綱を洗い出し、トイレや売店などの機能レイアウトなど、具体的な部屋の基準を決めていった。五輪誘致が正式に決まったことで、13年9月から本格的に基本設計に取り掛かった。
 基本設計の前半(13年9月~12月)は設計JVの4社から数人ずつ、構造や設備なども含めて計10人ほどのスタッフをロンドンに招いた。最初の3カ月をロンドンのザハ・ハディド事務所が中心となって進めたことで、初期段階をリードする形で基本設計がスタートした。設計JVの中核スタッフをロンドンに呼んだのは相互理解を深めるためだ。設計JVにとって私たちは外国の設計事務所。日本の設計事務所と違う仕事の進め方を知ってもらいたかった。
・・・
――基本設計で規模を縮小したデザインでは、「8万人収容」の観客席の実現は困難だった。ザハ・ハディド事務所は座席間隔を狭く設定し、観客の快適性を犠牲にしてJSCの要求を実現した。
内山 国際試合が開催される競技場の場合、標準とされる観客席の座席間隔は500mm。大柄な人が座ったり、冬季の観戦では服を着込んだりするため、ある程度の座席間隔がなければ快適性を保てない。今回は「8万席」を実現するため、480mmを基準に観客席を配置した。それでも8万席にはわずかに足りなかった。
 私たちはこれ以上、快適性を犠牲にしないために「8万人規模」の競技場ということでJSCが納得できないかと掛け合った。しかし、「8万人の観客席は必須条件」と譲らなかったため、一部は460mmの間隔で配置しなければならなかった。観客席に続くコンコースもイベントの前後に多くの人が行き交うので、本来なら1m2当たり0.5人で設計するが、敷地の狭い新国立では0.35人で設計した。

日建設計ヒアリング結果(検証委員会資料)抜粋
ザハ・ハディド事務所の役割はデザインスーパーバイズだったが、一緒にやっていくという感じだった。ザハ・ハディド事務所は、屋根のデザイン以上に、スタジアムの性能を決めるボウルのデザインを主体的にやろうとしていた。
○ 8万席という与条件はJSCから言われていた。どんな設計与条件で8万席を入れるのかが一番のポイントであった。座席の横幅の寸法を縮めれば8万席入るが、北京オリンピックパラリンピックと同じ席幅だと8万席取れないということであった。ザハ・ハディド事務所が一番主張したのは、席幅を何センチに設定するのかということだった。
客席の断面構成を3段にしないとこの敷地の中に8万席入らなかったが、今度は最高部の高さが高くなってしまう。高さ制限の70メートルの中に入れた上で、可能な限り周囲への圧迫感を抑え、さらに日影の問題も解消しなければならず、座席の幅と客席構成と高さの調整作業は、フレームワーク設計のかなりの作業時間を占めていた。
○ この作業は、ザハ・ハディド事務所だけに任せていたわけではなく、設計JVも、同時にボウルの検討をしていた。互いに、国際標準に照らしたときはこうあるべきというのを自分たちなりの案を作って、調整しながら一つにまとめるというのがフレームワーク設計のワークショップだった。

以上