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ザハ案流用と「空の杜」

表題の件の前に、昨日<どうりでザハ+日建が参加できなかったわけですね>というコメントを頂いた。返信にも書いたが、確かに「ZHA+日建設計」が参加していたらザハ案流用は一瞬で見破られてしまう。だから先ずは日建設計には新コンペに参加しないよう官邸が話を付けていて当然。しかし、同社からZHA側に参加を呼びかけたとのことで、これも出来レース中の大芝居だったのか。ただ舞台の仕掛け(流用)がすぐ分かってしまって大芝居どころか小芝居にもなっていないようである。それでもマスコミ等は収まっているから効果はあったのかも知れない。またZHA側の類似性調査意向もやはりポーズの可能性が高そうだが、全く何も言わないのも変だということになるから、どうするだろうか。

参考になる見解はTwitterでも見かけて以下の内容があった。
<5階空の杜は屋根の柱の為に必要のようだけれど、屋根の耐震は大丈夫だろうか。空の杜って開いたスペースがあったから作りますみたいな感じがします。植栽して虫(デング熱)とか鳥の糞とか駆除大変そうです。>
当方も「空の杜」の発想の由来については同様に考えている。ザハ案の最外周柱を屋根支柱に流用した形になっているので、屋根支柱とスタンドの座席外縁までにスペースが有る。更に3階までは支柱が真っ直ぐだが、4階と5階では斜めになっている。それで斜めの部分には壁面を設けずオープンにして、4階はコンコースで5階を空の杜にしたのではないか。

イメージ 1


また、片持ち屋根の支持構造自体も、最初提案書を見た時から下部がどっしりしているという印象だった。本来は全体のコンパクト化のために、屋根支柱も出来るだけスタンド観客席外縁に近い位置に立てられるよう工夫すると思う(基本機能としてはスタンドの大きさは観客席外縁までで良い)。
しかし、ザハ案最外周柱の位置ありきの設計になったから、外縁から離れた位置(上図10m)になって結果的に下部がどっしりしたのではないか。当初相当思い切った発想と捉えていたが、ザハ案流用と考えたら納得できてしまった(笑)
このようなことがあって、「設計者はザハ案流用によって基本構造を考えるのも楽になったのではないか」と推測している。基本検討からの影響まで考えたら、流用による設計短縮効果は昨日記した「少なくとも半年」をずっと超えて1年近いということも有りえるかもしれないという気がしてくる。(それに提案書では引けをとらない設計をまとめた竹中チームもさすがと云うことになる…ガンバスタジアム等でのノウハウ蓄積が活きていそう)

続いて浅田彰氏が発表した論考に関するツィートが沢山出ていて、賛意が多い中で辛口なのを二つ。
浅田彰の頭脳をもってしても「見積の予算オーバーはゼネコンが悪い + いっそ建てずに原っぱでやろう」に収束するのか…>
浅田彰氏の新国立競技場問題の論評、あれこれ裏事情を推測してるんだが、ほとんどが既にネットで聞きかじった話の繰り返しだった。紙メディア時代なら、彼の情報収集&整理力は圧巻だったけど、今はネットと集合知があるから、もうこういう「時事論評」は用済みなんだね。>

浅田氏の書かれた内容については色々検証してみたい点があるが、全体的には上記ツィートと同様の印象。同じ「彰」つながりということは無いと思うが、池上彰氏の「一般論」や「建前論」と似通っている気がする。しかし、新国立競技場問題は従来から述べてきたように「特殊条件」の影響が大きい。浅田氏は新コンペについても言及しておられるが、昨日記したようにコンペの基本である公平性に深刻な問題が有ったという現在の事態については把握しておられないようである。
また、<日建設計がザハと組んで修正案を詰めていたにもかかわらず、ザハ+日建設計と組むゼネコンはなく>と書いておられるが、それにも前述のように水面下の事情がある。未だ明らかになっていない「ZHAを切らざるを得なかった政府側の事情」についても考察は全く無し。 

それでも今回の問題に色々な人が見解をお書きになると、深層の客観的事実と比較できるので興味深い。もっと検証してみたいところだが、本日は浅田氏論考で「さすが」と思えて共感できた箇所を記す。付記3で次のように書いておられる。
<最初から潜在的な反対派も「民主的な話し合い」に巻き込み、結果折衷的な外見で装った当初案を実現するというのが、行政官僚の常套手段であり、たとえば藤村龍至の提案するコミュニカティヴなデザインが、それとどう違うのか、話し合いの途中で出てきたさまざまな折衷案の履歴をすべて残したところでそれが折衷案のつまらなさをどう補えるのか、私にはまったくわからない。>
藤村氏については当ブログでも取り上げてきた。それはザハ案支持云々だけでなく、これから少なくとも20年30年社会の中枢で活躍して頂くことになるアラフォー世代の代表選手の一人ではないかと捉えた上で、その考え方に違和感を覚えたからである。ただ、それをどのように書こうかと思っていたが、浅田氏は上記のように的確に表現しておられる。また、浅田氏の過去の五輪招致や新コンペ案についての詳説などは、一見深そうに見せて実は表面的なまとめの池上氏とはレベルが違う印象。

様々な識者のコメントを紐解いて、特に浅田氏を始めアラフォー世代の東浩紀氏なども含めた思想・哲学系の方々の検証をやってみたいと思っているが、なかなか現在の問題の決着が付きそうにない(苦笑)

以上