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「五十嵐太郎」氏記事

12月10日毎日新聞夕刊の文化面に「五十嵐太郎」氏の書かれた記事があった。
赤枠の部分を見て驚いた。新国立競技場のシンポジウム等でよく名前が出てくる方で、中立的な印象もあったのだが、こういうことをお書きになる方だったとは・・・。

イメージ 3

ザハ・ハディド日建設計チームは、様々なメニューの減額案を提示していたにも関わらず、発注者がそれを聞く耳を持たず、案がクラッシュしたのが実状だ>というのは、日経アーキ10月10日号の内山氏インタビュー記事を鵜呑みにしておられるように思う。確かに発注者側にも問題が有ることは間違いない。しかし、例えば昨日の当ブログ記事で紹介したように、基本設計の構造にも根本的な問題が有る。その内容について、すぐに指摘コメントしていた人もいるのに、立派な経歴をお持ちの五十嵐氏は新国立競技場問題を語るとき、基本設計書や実施設計書などの基礎資料をどのように吟味してから発言しておられるのだろうか。

また、<奇抜に見えるデザインを行う外国人の女性建築家という目立つ要素さえ外せば、問題が解決したと思わせる政治的な決断である>という部分は余りにも酷すぎると思う。こんなことを誰が考えているというのか。想定される人の名前を挙げられるのか。日本人に対する侮辱だと思う。五十嵐氏は40代後半と云うことで、これから更に建築設計界の中核を担っていかれると思うが、今回は他にもアラフォー世代の建築専門家の残念な姿勢を見ており、一体どうなっているのだろうかと考えてしまう。以前に「今回の問題は建築設計界に投げ込まれたソーカル論文ではないか」と書いたが、旧計画の経緯をどのように分析・把握するかで、人となりが見えて来てしまうように思える。

なお、五十嵐氏も参加しておられた昨年のシンポジウム”新国立競技場の議論から東京を考える”2014年 10月1日における槇氏発言で「日建設計」が出てくる部分があった。
<プログラムがひどく、そのツケが建築家に回されたのです。その時の建築家はザハ・ハディドであるし、日建設計を中心とする日本チームです。そこで、潔くそんなものはできません、お金をかけても恥ずかしい、決して高い志を持ったものはできないと早めに言っても良かったと思います。>
五十嵐氏はZHAと日建設計の提案が受け入れられなかったと書いておられるが、槇氏発言が何を意味していたか読み取らなかったのだろうか(槇氏はやはり相当実態を御存知だったと思われる)。その後最終段階になってZHAや日建設計が外されるには理由があったということもお考えにならないのだろうか。五十嵐氏ならアーチタイも具体的実現性を示せて、「ザハ案は建てられた」ということを明示して頂けるだろうか。

以上
[追記]
昨日記事の続きを考察。基本設計の構造計画では「スタンドでキールアーチを支持し、VIPルーム外壁もスタンド側に付く構造」だったと考えられる。それに対し、実施設計では「アーチタイで支持され自立するキールアーチによって、屋根フレームと側面のVIPルーム外壁まで支持する構造」と想定される。
それで基本設計と実施設計の断面図・外観図を比較してみた。

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注目したのは、外観図で屋根工区(上)とスタンド工区(下)の合わせ目の部分。基本設計と実施設計で下図のように構造が異なるので合わせ目が変わると考えられる。

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しかし、上掲の外観図比較を見ると、基本設計と実施設計で上下合わせ目が大きく変わっていると想定されるにも関わらず、殆ど同じ図になっている。これには違和感がある。特にVIPルーム外壁周りなどは、構造や形状も変えないと対応できないと思うが、変化無いように見える。これは一体どうしたことだろうか。

現在当方が考えられるのは、「基本設計と実施設計で、合わせ目は実は変わっていないのではないか」ということ。だが、実施設計ではアーチタイを追加したからキールアーチが自立し、屋根フレームと側面のVIPルーム外壁まで支持できるということを前述した。基本設計では逆の構成でキールアーチは屋根による支持である。これをどう解釈するか。
基本設計の設計思想を推察してみると、やはり前半を主導したというZHAの意向が重要だろうということで、内山氏が述べたと思われる以下の状況がポイントになってくるのではないか。
<国際デザイン競技の時点では、アーチの両端をコンクリートのブロックなどで固定する支持方式を考えていた。基本設計の初期段階で免震構造の採用の可否に関わらず、アーチタイを採用する方針となった。>

つまり、「基本設計の初期段階からアーチタイ採用する方針があった」ということで、基本設計書の外観図も元は実施設計と同様にアーチタイでキールアーチを支持した状態の図なのではないか。そこからアーチタイだけを取り去って基本設計報告用の外観図にした、という仮説を考えてみている。何故そのようなことが行われたかは色々推測してみているが、今は事実関係の提示を主旨としてここまでとする。

追記以上