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槇氏意図の読解(日経アーキテクチャ2014年7月10日号より)

昨日記事で安冨氏によるZHAビデオの理解を紹介した。対象はビデオではあるが、何を言わんとしているかを見抜くのは「読解」と呼んでも良いのではないかと思う。ただし、読解は昨日も異なる見方を示したが、合っているかどうかの証明は難しくなる。それでも読解で相当分かることがあるのは、安冨氏が実例を示してくれていると思う。(ちなみに同氏はコラム結末の方で「この見事な詭弁を弄する設計事務所が、一連の混乱を引き起こした要因と確信しました」と書いている)

当方も読解を重視しており、12月4日記事[追記]においてはシンポジウムでの発言等の読解から槇氏行動の深層にあると思われる意図を以下のように推定してみた。
<「仕様を縮減しないとコストや工期が大幅にオーバーすると識者(多分コンペ関係者等)から示唆や依頼を受けて、そこに槇氏の東京体育館設計経験や景観保持の持論を付け加えて論考にした」と云う裏事情ではないか。>
これを更に進めるために原点の2013年論考を再度詳細読解してみようかと思ったが、その約1年後の2014年7月10日号日経アーキテクチャに槇氏のインタビュー記事が有り、こちらを対象にしてみた。見どころの多い記事であるが、その中で特に気付いた箇所①~④を以下記事抜粋にて示し、読解結果を後述。

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[当方重点箇所①~④引用と読解]
①このプロジェクトを進めるプロセスのどこに問題があったと思うか。
「設計者にツケが回されている」
 我々は建築家だから分かるが、設計担当者に現在ツケが回されている。様々な方面から勝手な条件が出され、設計者が苦労させられており、本当に気の毒に思う。これからつくる人たちも同様だ。誰も喜ばないものを一生懸命つくらされることになる。失敗すれば、元請けの施工者や下請けの専門工事会社が責任を取らされる。事故でもあれば技術者たちがやり玉に挙がる。暗たんたる気持ちだ。
④見直しても五輪に間に合うか。
 間に合う。屋根を取るなどプログラムを変えれば、工期も工費も少なくて済むはずだ。つくりやすいものであれば、施工者も腕まくりして取り組んでくれるはず。今のままで、喜んで手を挙げる企業は現れない。

→①と④の箇所を併せて以下の問題を指摘していると思う。
 (1)設計問題…多方面からの要望を詰め込んだ設計条件に無理があり、そのツケが設計者に回され苦労させられている(特に槇氏は開閉屋根を問題視しておられる)。
 (2)施工問題…困難な設計での施工では失敗する可能性があり、責任を取らされる。このままでは受注に手を挙げる企業もなくなる。

つまり、槇氏は景観以外に、「設計会社や施工会社」の苦境に大きな配慮していると思える。結果的にゼネコンは手を挙げたが、実際には何とかしなければいけないという思いを槇氏と共有していたのではないか。
こうなってくると、槇氏行動は「コンペ審査関係者」だけでなく、「設計会社」や「ゼネコン」などとのつながりも考えられてくる。
まずこれで記事読解の主目的だった「槇氏には景観以外にも思惑があったことを読み解く」に関して、当方としては成果があった。

続いて、他にも個人的に注目した内容を記す。
②高さ
 基本設計で「高さ75mを70mに抑えたからバランスが良くなった」いう発言は全く意味をなさない。5mの差なんて誰も気付かない。
→景観から始まったはずなのに、「5mなんて誰も気付かない」と言い切っておられる(笑) だが、新コンペ要項でも設定高さは70m以下となっていて、この通りにやると「ZHA案と同じで高過ぎるのではないか」という批判が出ることは確実。どこまで下げて景観に与える影響を少なくするかを隈・伊東両氏ともに主要課題の一つとして検討しておられると思う。そうすると5mは大きな差になってくる可能性がある。また②の左にある「図3」のような外観比較は新コンペでも行われるだろう。仮に隈氏設計によって外装が或る程度「木」で出来ていれば多少は大目に見ることになるのだろうか。
両氏とも槇氏の旧計画批判に名を連ねた賛同者である。全体デザインとの絡み合いは有るにせよ、槇氏は新コンペでの両氏設計に関して、高さや外観・景観等について、どのような見解を示されるのだろうか。槇氏自身は新コンペの論議にどこまで参加されるかは分からない。しかし、もしご本人は参加する気がなくても、旧計画の経過からダンマリというわけには行かないだろう。今後どのような発言をされることになるか。

ザハ・ハディド案ではなく、コックス案や、SANNA+日建設計案が選ばれていても同様に批判したか。
 そうした話は意味がない。こちらの案が良かったというつもりはない。
→ザハ案潰しが目的の行動だったということを如実に表していると思う。やはり、上記①④のように設計や施工のことを考えて、構造に無理があるザハ案を放棄させようとしておられたのではないか。

以上
[追記]
日経アーキ7月10日号記事より後に開催された2014年10月1日シンポジウムの内容も読解してみる。
----槇氏プレゼン抜粋引用開始----
今年の8月から大手ゼネコン7社が問題を考えてくれないかと諮問を受けていて、10月10日にそのプロポーザルが出てきます。おかしいのは、ザハ・ハディドと日本チームの他に、ゼネコンの設計施工チームが入ってくるかもしれないということです。これはもはや誰の作品かわかりません。そこで技術的なさまざまな問題に対して適切な答えが得られなかったときはどうするのかという話になります。結局、基本設計チームには責任がありません。(ゼネコン側の)提案がうまくいかなかったときにはその提案者(ゼネコン側)に責任が掛かってきて、設計チームには責任がないという仕組みを誰かが考えたのかもしれません。これは非常に大きな問題です。
 現在の進行を見ると、監修者だけを定めたことによるツケが日本チームに来て、今それがお手上げになり、さらに問題をゼネコンチームに回そうとしています。基本設計チームが責任を持たなければいけないはずです。そうでなければ、大手7社からまた設計者を選び、デザインビルドという方式でやればいいのです。設計および施工の人たちにいい考えを出してくれませんかと聞くという、前代未聞のやり方で進行しています。
----槇氏プレゼン抜粋引用終了----

----槇氏 後日追加分 抜粋引用開始----
デザインビルドとは白紙の前提条件のもとで、選ばれた設計チームと施工会社が協同で行なうものであるのが、そのどちらでもない方式であることです。察するにザハ+日本チームはこのまま実施設計をおこなった場合、後述するさまざまな技術的は問題(可動式屋根、完全な天然芝の育成、妥当なコストへの収斂等)への自信が全くない為に考えたDB方式であり、自分は選定者側にまわり、ツケを全面的にゼネコンに押付けようと意図しているといえます。
2. 技術上の諸問題
a. 最大の問題は本当にザハの曲線を主体としたフレームの中で、一万数千平米の伸縮性のある膜を常時作動し、しかも今後予想される突然の豪雨の集水、止水、流水に対応し得るか、或いは耐用年限の低いC種膜(?)の取換えが高所において可能なのか、こうした一連の諸問題に対して解決の自信がない為にデザインビルド方式を急遽採用せざるを得なかったと思われる。
----槇氏引用終了----

→まず、日経アーキ7月10日号記事の方では、本文で示したように<設計者にツケが回されている>ということで、槇氏は設計会社の立場もフォローしているように受け取れた。しかし、上記10月1日シンポジウムだと<基本設計チーム(ZHA+設計JV)は責任逃れをしてゼネコンに問題を回そうとしている>と、設計チームには明らかに厳しくなっている。それを考えると、少なくともこの頃になると槇氏の行動にはゼネコンの意向が相当入っていたと見られることは動かせないように思う。もしそうであれば何故もっと早く潰せなかったのか。(ゼネコン側も問題点の警告を越えて実際に潰すとなると、政府や森氏などへの配慮等で逡巡があったりしたのか?)

なお、当方が槇氏の意図を検証しているのは、本問題の経過を解明するために必須なだけでなく、新コンペも含めた全体が「どこまで出来レースなのか?」を考えているためである。旧計画に対する槇氏の言動に裏の意図があったとしたら、新コンペに対してはどのように動かれるか。
本文も含めて述べてきたように、槇氏は建築設計界の重鎮として「審査関係者・設計会社・ゼネコン」のいづれとも深い繋がりが考えられる立場にある。その上で更に国交省や官邸、文科省など政府各部門との関係はどうなのか。そして本命は、やはり和泉補佐官。和泉氏は新コンペの仕組みから応募社・落札社(及び設計者)まで決めているだろうと云うのが当方の見方。旧計画を五輪決定前から批判して反対する世論の流れを作り出したとも言える槇氏に対して、新コンペ無事成立に向けての根回しを行なっていないのだろうか。和泉氏の仕事ぶりからするとやっているようにも思えて、そうなるとやはり「どこまでが出来レースなのか?」ということになって来る。

追記以上