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ZHAは基本設計初期から実施設計前半まで関与

ZHAは「基本設計前半」を主導して、その後も関わっていたことを昨日記事で紹介したが、更に「実施設計前半」まで関与していたことを示す記述が日経アーキ10月10日号記事にあった。
(なお、同号のZHA内山氏インタビューで「設計契約上の設計期間と異なり、実際は13年9月までがフレームワーク設計、その後に基本設計に移行し、14年6月からが実施設計だった」と述べている。更に昨日も紹介したが「基本設計の前半(13年9月~12月)は設計JVの4社から数人ずつ、構造や設備なども含めて計10人ほどのスタッフをロンドンに招いた。最初の3カ月をロンドンのザハ・ハディド事務所が中心となって進めたことで、初期段階をリードする形で基本設計がスタートした」とのこと)

〔図解〕基本設計・実施設計の検討プロセス”2015/10/09 日経アーキテクチュア・プレミアム(会員用…是非登録して全文お読み下さい)

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関与例の図まで付いており、これで「デザイン監修者に留められた」とか「犠牲者だった」などは誤解ということが、ますますはっきりしてきた。ただ、これでも誤解して思い込んでいる人達は無くならないだろう。そういう方々は当ブログを見ないと思われる(笑)

なお「実施設計の前半まで」ということは、少なくとも2014年は関与と想定され、アーチタイ追加もZHAが絡んでいる可能性が高くなる。追加が決定される過程ではZHAと日建設計がどのように関与したのだろうか。
そして実施設計後半はこれまで予想してきたように「ZHAは外された状態」だったと思われる。白紙化後の声明で「建設会社と一緒に作業することは許されなかった」と言っているが、この状態を指している事が考えられる(日建設計の扱いについては情報がないが、似たような状況だったか)。
このような処置はJSC・文科省では難しかったと思われ、和泉氏判断だったのではないかというのが当方推測。ただし、これは文藝春秋由利氏記事の「ゼネコン直訴」がベースになるが、残念ながらその後の続報なし。他のマスコミや雑誌、ネットメディア等も、由利氏記事の追加検証を行うようなところは見られず、思い込んだ方々には誤解解消の機会がないままになっている。それどころか昨日紹介した記事のようなタイトルの付け方で、まだ誤解を広げようとする向きさえある(笑)

国民の誤解を解くように、槇氏など内幕を知っている方々がもっと詳しく話して頂けるか、それが難しければ業界団体主導や政府によって、特に白紙化経緯の検証が必要(政府が検証委員会の検証対象外にしたのは国民に対する隠蔽行為)。

以上
[追記]
本記事は昨日記事などとの重複記述が有りますが、ブログの場合はリンクや検索などから入って一つの記事だけを読んで頂く場合もあると思われ、当ブログの方針的なものとして一つの記事内でも或る程度完結する記述にするため、重複が多くなる場合がありますのでご容赦願います。
追記以上