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「ザハ事務所から日建設計に移籍のニュース」

日経アーキテクチャで以下の記事が出ていたので引用。→以降は当方コメント。
-----引用開始-----
――新しい整備計画の公募に日建設計ザハ・ハディド事務所が手を組んで再挑戦した経緯を教えてください。
内山:(旧整備計画の設計で)2年間培ったものを捨てるのはもったいない。日建設計はそうした正論を通してくれました。私は既に移籍を決めていましたが、日建設計からは「ザハ事務所が悪いわけではない。一番知識を持っているのはザハ事務所なのだから、一緒に組んで再挑戦したい」とザハ・ハディドに伝えてほしいと声をかけてもらいました。
山梨:公募への再挑戦で努力はしたものの、空回りして勝つことはできませんでした。しかし、ザハ側には誠意は伝わったと思います。信頼関係が構築できました。国家プロジェクトというチャンスを逃したことは大きい。これまでの日建設計ならば数カ月は立ち直れないショックを受けていたでしょう。ただ、世界では大きな仕事がうごめいている。内山さんはそれが当たり前の世界で仕事をしてきた。
-----引用終了-----
新コンペへの参加表明は日建設計から内山氏を通じてザハに声を掛けた模様。(山梨氏主導か)

続いて何度か紹介している日経アーキテクチャ10月10日号特集記事。
-----引用開始-----
内山 デザイン監修者と設計者の両方が務まるように、ザハ・ハディド事務所が正式な設計JVの一員として参加することも検討したが、デザイン監修者の立場のまま設計JVと協力して設計することになった。
 設計契約上の設計期間と異なり、実際は13年9月までがフレームワーク設計、その後に基本設計に移行し、14年6月からが実施設計だった。フレームワーク設計は与件の整理とブリーフ(建物の目的や性能、設計条件などを記した業務文書)の作成が主体で、13年9月に20年五輪の開催都市が東京に決まるまで、基本設計に本格的に入る準備期間だった。
 五輪を東京に誘致できなかった場合にはデザインの大幅な見直しを迫られる。「基本設計に入るな」というムードだったため、その間に私たちはフレームワーク設計を進めた。要綱を洗い出し、トイレや売店などの機能レイアウトなど、具体的な部屋の基準を決めていった。五輪誘致が正式に決まったことで、13年9月から本格的に基本設計に取り掛かった。
 基本設計の前半(13年9月~12月)は設計JVの4社から数人ずつ、構造や設備なども含めて計10人ほどのスタッフをロンドンに招いた。最初の3カ月をロンドンのザハ・ハディド事務所が中心となって進めたことで、初期段階をリードする形で基本設計がスタートした〔図1〕。設計JVの中核スタッフをロンドンに呼んだのは相互理解を深めるためだ。設計JVにとって私たちは外国の設計事務所。日本の設計事務所と違う仕事の進め方を知ってもらいたかった。
イメージ 1
-----引用終了-----
ZHAは監修のはずが基本設計の前半はロンドンで実施しZHAが主導していた。よって基本設計のデザインはザハ案と考えられる。その後もZHAは関与し、デザインは基本設計からは大きく変わっていない。これで「コンペ案」、「コンペ表彰式案」、「基本設計案」、「実施設計案」、全てザハ案と呼んで良いと思われる。「デザインが変わってしまった」とお嘆きだった方々へは、「それでも一貫してザハ案でした」と言うことになる。
当ブログ10月13日記事で上掲「図1」の設計JVにある「アラップ」は「アラップジャパン」と推測していた。しかし、特に2013年9月~12月ロンドンの際はアラップ本体が入ってる可能性がありそう。結果的に「アラップ」の業務に関しては、ロンドンの段階で本体が「屋根構造」を担当した可能性が出てくる。そして「アラップジャパン」は日本において「環境シミュレーション、ファサードエンジニアリング」を担当したという分担かもしれない。

そうなると文藝春秋由利俊太郎氏記事とも合致してくる。
<JSC広報室が説明する。「ザハ・ハディド・アーキテクツより基本設計を行いたいと申し出があったのは事実です。しかしながら公募型プロポーザルで選定することが決まっており、直接随意契約することは困難なためお断りしています」
 ところがそれでもザハ氏は納得せず、結局、JSCと基本設計の「デザイン監修業務」を契約することに成功する。これが、設計段階でいくら難点が顕わになっても、ザハ案が維持され続けた大きな理由だ。
さらにもう一つ、仕掛けがあった。前述したロンドン五輪水泳競技場をザハ氏と共同設計した会社の存在である。ザハ氏も拠点を構えるロンドンに本社を置き、三十七カ国に事務所を構え、従業員一万一千人を抱える世界最大の土木建築総合コンサルタント会社、オーヴ・アラップ・アンド・パートナーズ(以下アラップ社)である。実は同社も、新国立競技場の設計JVに組み込まれ、構造計算を手掛けていた。前出の審査メンバーが明かす。
 「ザハ氏側から『うちのデザインを生かすには、アラップ社の優れた構造計算の力が必要だ』と口添えがあり、設計JVに組み込んだ経緯があったんです。『十分な構造計算を行った』と自負するアラップ社を前に、もはや日本の設計事務所は口出しできなかった」

→由利氏記事の信憑性が更に高まったと思う(ただし、アラップとアラップジャパンは区別して書かれていない模様)。そして設計初期における真相も見えて来たかも知れない。
なお同記事で「前出の審査メンバー」となっている。これは引用していない段落の「JOCの審査メンバー」と対応するが、国際コンペの審査員にはJOC日本オリンピック委員会)代表者はいない。「河野一郎」氏はJOC理事だが、このような技術的内幕を話すとは考えにくい。そうなると「JOCの審査メンバー」を「JSC主催国際コンペの審査メンバー」と想定したら、例えば内藤氏だろうか? (他の審査員が話した可能性も残るが)

以上
[追記」
以下の記事などで設計JVのアラップは「アラップジャパン」と考えていた。
日建設計・梓設計・日本設計・オーヴ・アラップ・アンド・パートナーズ・ジャパン・リミテッドJVを特定した。
また、知恵袋で<外装はアラップ>と答えている人がいて、本文「図1」におけるアラップの「ファサードエンジニアリング」と合致。これはアラップジャパンだったと推測できる。
しかし、JSCの落札情報を見直すと「日建設計・梓設計・日本設計・アラップ設計共同体」となっている。結果的にJV参加の窓口がアラップとアラップジャパンのどちらだったかは不明だが、「アラップジャパン」は外装等を担当し、初期の設計では屋根構造をアラップ本体が担当していた可能性は充分ありそう。

追記以上