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”槇氏と内藤氏”

昨日紹介した槇氏の強硬発言については、以前紹介した東京新聞記事の一節と関連があるかもしれない。
<ハディド氏のデザインを選んだコンペの審査委員長を務めるなど、計画の中心にいた安藤氏は沈黙を守っている。だが、表向き全員一致で決めたはずのコンペの別の関係者昨年計画に反対する建築家にこう漏らしたという。「この計画は間違っている。つぶしてほしい

前に読んだ時はこの部分に関して現実味を感じなかったが、長く取材を続けている森本記者の記事でもあり、今となっては注目に値すると思えて来た。同記者がどのようにしてこの情報を入手したかは定かではないが、これまでの状況から考えてみると、「コンペの別の関係者」は内藤廣氏で「計画に反対する建築家」は槇氏と推測出来るように思える。

この両氏と仮定して更に考察してみる。まず内藤氏が2013年12月に発表した見解が有る。

この中で、ザハ側に対する配慮を見せている。
<「ザハにしてみれば、座敷に呼ばれて出かけて行ったら袋叩きにあった、という気持ちかもしれない」>
<ザハに最高の仕事をさせねばなりません。決まった以上は最高の仕事をさせる、ザハ生涯の傑作をなんとしても造らせる、というのが座敷に客を呼んだ主人の礼儀であり、国税を使う建物としても最善の策だと思うのですが、どうでしょう。>
槇氏に対しても非常に親和的。
<建築家の槇文彦氏が意見を表明したことに対しては、「全く違和感はない。勇気ある発言に敬意を表す」>

そして当方が注目したのは内藤氏見解記事に対する「読者のコメント」。批判する意見は多いが、中には違和感を持ったり裏読みまで考えている人も少数ながらいた。
<書くまでもないかなと思っていたけど、敢えて書いてみます。邪推かもしれません。 
丁度、このコメント欄の横に内藤さん関連のインタビュー記事のタグがあると思うんだけど、試しに何本か読んでみて下さいよ。でそのあと、この問題の文書を読んでみて欲しい。 もの凄い違和感ありませんか? まるで別人みたいじゃないですか? こういうアプローチで仕事をしてきた人が、ああいう文書を書くもんでしょうかね? 
審査員の立場としてのザハ案推しは当然としても、肝心の計画案自体に関する評価とか先進性等について殆ど言及せず、ひたすら底の浅い感情論や脈絡のない牽強付会に終始して世論誘導(?)に終始するなんていうのは、定評のある計画系建築家としては考えられないことなんじゃないでしょうかね。2013/12/19  >
<ひとつ気になるのですが、この巧妙に主語を省略し、語尾をあいまいにぼかし、誰の何についてどんな立場から批判しているのか意味不明な作文は、本当に内藤さんひとりで書いた文章なのでしょうか? ・・・
審査委員長は黙っていて、なぜ、内藤さんがこういう作文を出すことになったのか、興味があります。2013/12/17 >
<内藤さん本来の理詰めの論調からは程遠い、変に情緒に頼ったらしくない文面ではあるね。 
裏読みしたくなるなぁ・・・。2013/12/12 >

一方槇氏の方はよく知られているように2013年8月「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」 という論文を発表して批判の口火を切られた。その後更にシンポジウム等でも巨大さと景観の問題について発言された。
しかし、このところご紹介しているように2014年6月シンポジウムではキールアーチの問題と景観の問題が半々だった。同年10月シンポジウムでは殆ど全部が技術的問題への言及になり、「どういう風にしたら今の案がボツになり得るか考えています」とまで述べられた。「青井哲人明治大学准教授が分析されたように、槇氏発言には明らかな変遷が見られる。

これは「安藤氏とは別のコンペ関係者=内藤廣氏」が、「計画に反対する建築家=槇氏」に対し、「この計画=ザハ+日建案をつぶして欲しい」と、昨年=2014年に依頼して共闘成立したことによる変化ではないだろうか。
つまり前述の仮定が合っているとした方が、内藤氏の「違和感を持たれる対応」も含めて個人的には色々な辻褄が合うと感じている。
その結果から言えることは、「槇氏と内藤氏が、ザハ側を傷つけずに計画を潰すために一芝居打って、未だにそれを続行中」ではないか。お二人が「お国のために」双方とも憎まれ役を覚悟して演じていると思える(ザハ側に配慮しないで潰すと国際問題にもなりかねない)。

「信じがたい」という反応も当然多いと思うし、当方も半信半疑ではあるが、まだこの仮定の根拠はありそうなので明日検討予定。

以上