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2014年10月シンポジウムでの槇氏発言

昨日記事の最後で2014年6月15日シンポジウムでの槇氏の様子を紹介した。発端になった景観の話は後半で、前半には「キールアーチ」の説明をしておられた。
槇氏の主張変遷に関しては、先日の「10+1」web site特集記事”新国立競技場問題スタディ─「白紙撤回」への経緯と争点”で次のような言及が有った。
2014年10月に日本建築学会主催建築文化週間の一貫として新国立競技場問題をめぐるシンポジウムが開かれたが、このときの槇氏の発言は第2フェーズまでの言説空間の様相を自ら一蹴するかのようだった。設計体制の問題は主眼のひとつとされたものの、都市の歴史的文脈や景観などの理念問題にはほとんど触れず、ザハ案が完成すれば日本は世界の冷笑を買う、そもそも技術的・コスト的に実現不能だから一刻も早く破棄すべきである、といった意味の強硬な発言を(余裕のある冷めた口調で)繰り返したのである。>

青井氏が紹介されているのは以下のシンポジウムで、「10+1」のサイトに詳細な講演録があるが非常に長いため、まず当方が印象的と感じた部分を抜粋する。例えば槇氏は<どういう風にしたら今の案がボツになり得るかと考えています。>とまで言い切っておられるのは衝撃的。当ブログでも先日記事を書いた可動屋根の困難さも強調しておられた。
”新国立競技場の議論から東京を考える”[2014年10月1日 建築会館にて、建築文化週間2014の記念シンポジウムとして開催]

-----槇氏見解抜粋開始-----
・今年の8月から大手ゼネコン7社が問題を考えてくれないかと諮問を受けていて、10月10日にそのプロポーザルが出てきます。 現在の進行を見ると、監修者だけを定めたことによるツケが日本チームに来て、今それがお手上げになり、さらに問題をゼネコンチームに回そうとしています。
・きれいで繊細なワイヤーによる屋根の開閉システムがコンペの時に提案されていましたが、実際はそれでは不可能なのです。ゼネコンに対して良い考えがありませんか、と聞くことになった大きな原因は可動式の屋根です。これはわれわれのチームでも考えてみましたが、なかなか解けません。
・1万数千平米の天膜の取り替えが本当にできるのでしょうか。高い位置にあり、相当重いのに、耐用年数の10年ごとに、どういう形で仮設足場をつくって新しい膜を持ち上げるのか。他にも、膜構造の開閉は強い風や、突発的な雨のときなどにうまく作動するのかなど、疑問が集積しています。
・清掃のメンテナンスも大変です。南面する1万平米のガラスの膜のすぐ下は暑くてしょうがない。内側からも暗膜をつくらなくてはいけないということも起きてきて、大変です。
私は、この新国立競技場ができても、いいものができたと思う人は絶対に世界中誰もいないと思います。むしろ、なぜこんなプログラムをこんな敷地につくったのか、冷笑されると思います。
・プログラムがひどく、そのツケが建築家に回されたのです。潔くそんなものはできません、お金をかけても恥ずかしい、決して高い志を持ったものはできないと早めに言っても良かったと思います
・私自身、言い出しっぺでしたので、この1年間で膨大な情報が入ってきました。やはりいろんな人の思惑や心配はこの不思議な体制からつくられたものです。
・私は非常にリアリスティックな面があり、どういう風にしたら今の案がボツになり得るかと考えています。技術的に問題が多過ぎるということを世論としてつくっていくことは大事です。それに対して、現在のメディアはあまり役に立っていません。
・可動装置や天然芝の育成について、当事者がゼネコンのプロポーザルの結果を待っているというやり方が間違っています。本来、第三者である学会の有識者が徹底的にチェックする必要があります。つまり、今の設計チームはそれだけの知識を持っていないことを告白しているわけですから。
-----槇氏見解抜粋終了-----

[考察]
「この1年間で膨大な情報が入ってきました」とのことで、その中から技術的課題の深刻さを感じ取られて景観問題より技術的問題にシフトしておられたようである。(設計会社やゼネコン、或いは発注側関係者等から情報が寄せられたことが推測される)
前述したが、「ザハ案を本気でボツにする」意思まで固めておられたことには驚かされた。
また「可動式屋根」の問題は設計JVでは解決が見えなくて、ゼネコンに回そうとしているとの裏事情も述べておられる。(ZHAはドイツの事務所と組んで対応したと言っているが)
そして、「潔くそんなものはできませんと早めに言っても良かった」というのは当方と同見解でも有る。

しかし、「アンカー」や「アーチタイ」の問題には言及されていない。
ここまで腹を括っておられたなら、「アンカー」や「アーチタイ」という基礎構造問題を取り上げて、一気に「建てられない」という根本問題に切り込むことを何故されなかったのか?という点はやはり残念でならない。

以上
[追記](参考として槇氏見解全部と出席者の関連発言を収録…その他は「10+1」のサイト参照)
①<講演>
槇──今日はJSCが発表した新国立競技場の何が問題かということに限定してお話したいと思います。私と一緒に問題を考えてきてくれたチームで、これまで起きてきた問題を整理しました。
ご承知のように、2013年9月に2020年のオリンピックが決定されましたが、その前の2012年11月にザハ・ハディドが国際デザイン・コンクールで最優秀賞に選ばれました。その後、3,000億円という試算がありましたが、日本チームと協力し、5月には1,625億円になりました。ザハ・ハディドだけでは具体的なコストのことはできないだろうということで、一緒にやったのだと思います。しかし、あくまで子どもの母親はザハ・ハディドで、日本チームはそのあとの養父だと言えると思います。つまり一緒に子どもをつくっていません。もうひとつ問題になのは、今年の8月から大手ゼネコン7社が問題を考えてくれないかと諮問を受けていて、10月10日にそのプロポーザルが出てきます。おかしいのは、ザハ・ハディドと日本チームの他に、ゼネコンの設計施工チームが入ってくるかもしれないということです。これはもはや誰の作品かわかりません。そこで技術的なさまざまな問題に対して適切な答えが得られなかったときはどうするのかという話になります。結局、基本設計チームには責任がありません。提案がうまくいかなかったときにはその提案者に責任が掛かってきて、設計チームには責任がないという仕組みを誰かが考えたのかもしれません。これは非常に大きな問題です。
 現在の進行を見ると、監修者だけを定めたことによるツケが日本チームに来て、今それがお手上げになり、さらに問題をゼネコンチームに回そうとしています。基本設計チームが責任を持たなければいけないはずです。そうでなければ、大手7社からまた設計者を選び、デザインビルドという方式でやればいいのです。設計および施工の人たちにいい考えを出してくれませんかと聞くという、前代未聞のやり方で進行しています。
たとえばきれいで繊細なワイヤーによる屋根の開閉システムがコンペの時に提案されていましたが、実際はそれでは不可能なのです。ゼネコンに対して良い考えがありませんか、と聞くことになった大きな原因は可動式の屋根です。これはわれわれのチームでも考えてみましたが、なかなか解けません。今、これをどうやったらできるのか、一生懸命施工会社が悩んでいると思います。曲面が多く、複雑な形状で、1万数千平米の広さを持ったものが簡単に作動できるはずがありません。たとえば選択された可動装置を多摩川のどこかで同じものを一部つくってみるとします。その時にまたうまくいかなかった時はどうするのか。また、1万数千平米の天膜の取り替えが本当にできるのでしょうか。高い位置にあり、相当重いのに、耐用年数の10年ごとに、どういう形で仮設足場をつくって新しい膜を持ち上げるのか。そういったことについて、ゼネコンが責任を持たせられてやっているのかは私は知りません。他にも、膜構造の開閉は強い風や、突発的な雨のときなどにうまく作動するのかなど、疑問が集積しています。
 「大分銀行ドーム」は、新国立競技場の屋根面積170m×100mよりも大きいですが、天然芝のための十分な日照を確保できませんでした。2001年から10回もの事故があり、一時開蓋のまま放置しているという状況があります。JSCはそういった前例から学ぼうとしてきたのでしょうか。
2020年のオリンピックでは、この高温多湿の日本で、理想的な競技環境が提供されるのでしょうか。選手が0.01秒、1cmを争うための調整が行なわれるのでしょうか。これが一番大事な問題です。観客が心地よくそれを見ることができるのでしょうか。IOCのおもてなしなどは次元の低い話です。選手から文句が出ないか、そういったスタディが一切なされていないのも問題です。
また、上から米粒のような選手を見ることも好ましくありません。8万人も入るのはせいぜいオープニングくらいだろうと思います。花火もどこから上げるかよく知りませんが、あまり見えないはずです。そういうことまで考えて、この案を強行しなければいけないのか疑問です。
 清掃のメンテナンスも大変です。南面する1万平米のガラスの膜のすぐ下は暑くてしょうがない。内側からも暗膜をつくらなくてはいけないということも起きてきて、大変です。これは、フランク・ゲーリー設計のそれほど大きくないガラスの建物には、新国立競技場よりも派手に屈折がありますが、こういった複雑な可動装置がなければ暗幕を降ろすこともできません。清掃の問題としても、1年のうち300日空いてますから、単に外側だけではなく、内側にもどんどんゴミが累積されていきます。
 屋根を閉じてイベントホールで稼ぎましょうと言っていますが、C種幕ですから、おそらく遮音性はダメです。また、残響時間が8秒以上ですし。観客のジャンピングもあり、これらは対策がありません。どこの競技場でもこの問題があり、周辺から文句が出て、止めている事例が非常に多いのです。商売にならないようです。
また、総工費が1,625億円と出ていますが、今の物価上昇を考えて2,100億円くらいだと思います。その他に免震装置や天蓋など、さまざまな付加的なものを入れると2,500億円くらいになるのではないかと思います。また、長期修繕費用は、普通の建物だと0.8%で、50年間で総工費の40%になります。ここでは650億円と出ていますが、非常に疑問です。工費2,500億円で考えると、1,250億円です。また、望ましい修繕や保全を考えると3,750億円で、予算とはまったく合いません。結局われわれの税金をつかみ取りしていくという姿勢がはっきりとわかります。しかもコストを計算したときに驚くべきことが起きています。2014年5月28日の資料ですが、収入が50億円、支出が46億円と出ていますが、3カ月後には収入を38億円に縮小しています。それに合わせて、数字の遊びかもしれませんが、支出を33億円にしています。10億円の修繕費を6億円に下げていますが、これでは到底足りません。内外を掃除する必要があるようなものに対して、修繕費を最低の40%よりもさらに低く20%にするというのはダメですね。このようにつじつま合わせのために数字をもてあそんでいる組織はまったく信用できません。誰を信用すればいいのかと言えば、結局はわれわれを信用してくださいとしか言えません。修繕費を20%しか見ていないなどの数字を信用して、十分な収入を持ちながら次の50年をやっていけるのでしょうか。
つい先日の『読売新聞』の記事ですが、全国の自治体の公共施設の解体費用も不足しています。そうすると廃墟になっていきます。新国立競技場は廃墟になるかもしれません。それはやはり避けたい。今お話したのはごく一部の問題ですが、山のように問題があるのが新国立競技場です。
 対策としては、単に屋根をなくすだけではなく、この巨大な断面が80平米のアパートが入るようなアーチも大変です。アーチと天蓋を除けばいいということではなく、現国立競技場の改修案も考える必要があります。また、一部仮設にする案や、500人収容のテントを40くらいつくり、2万人収容することもIOCと駆け引きする必要があります。私の対案では穏やかな4〜5万人の競技場と、その下に新国際子どもスポーツセンターを設けています。2050年の日本は生産年齢人口が10%以上減るかもしれない、GDPも世界14位まで下がるかもしれないことも考えると、1万人規模のスポーツセンターは年間を通して子どもも大人も使えます。それは平成の都民からみらいの子どもたちへの贈り物になるのではないでしょうか。
 財政的にもバランスが取れない今の案のクリティシズムから入り、ひとつのオプションとして、われわれの知識や将来への展望を含めた提案を申し上げました。以上です。
②<討議>
槇──先ほどの内藤さんの(講演)発言には全面的に反対です。お話を伺い、確かにいろいろな問題があるけれど、時間もないから担当者が一生懸命汗水を流してて、立派なものをつくれば良いという解釈をしましたがそれでよろしいでしょうか。
(内藤──はい。)
槇──私は、この新国立競技場ができても、いいものができたと思う人は絶対に世界中誰もいないと思います。なぜならば、これは審査員の責任ではありませんが、複合施設をあの狭い敷地につくって、理想的な競技場でもなく、理想的なサッカー場でもなく、ましてや理想的なホールにもなりません。機能を一緒にして、みんながうらやましがるかと言えば、絶対にそうではありません。むしろ、なぜこんなプログラムをこんな敷地につくったのか、冷笑されると思います。50年前に新幹線ができ、今でもそのソフトとハードのアイデアをやりたいという国がいくらでもあります。それは世界に共通する技術であり、実現したものだと言えます。汗水流して、コストを掛けて理想的ではないものをつくって何が素晴らしいんでしょうか。それぞれ別につくればいいのです。ちょっとでも土地があれば、今やサッカー場陸上競技場は別々につくります。ましてや、8万人入る劇場まで無理矢理押し込めて、採算も合わず、恥ずかしいものができると思います。以上です。
(松田──槇先生の話のなかで、理想的な建築という話が出ましたが、今回の新国立競技場の理想とはどういうことでしょうか。)
槇──やはり、土地を選んだことが大きいです。神宮外苑を選んだ後に、どうしたらそこにふさわしいものができるかという議論が有識者会議のなかでまったくなかった。それは非常に大きな問題です。その結果、出てきた案です。
 私は今まで世界中で14カ国で国際コンペの審査員をやりましたが、「じゃああなたの選んだもので本当に良いものがありますか」と聞かれれば、非常に少ないと言えます。かつてニューデリーのインディラ・ガンディー・アートセンターの審査員をジェームス・スターリングやバルクリシュナ・ドーシらとやりました。つい先日実際に初めてそれを見る機会がありましたが、ヒドいものでした(笑)。ですから、審査員に責任があるかというとそういうことではありません。今回審査員をやられた内藤さんもご存知かもしれませんが、こんなふうになると思っていなかったということは十分に理解できます。プログラムがひどく、そのツケが建築家に回されたのです。その時の建築家はザハ・ハディドであるし、日建設計を中心とする日本チームです。そこで、潔くそんなものはできません、お金をかけても恥ずかしい、決して高い志を持ったものはできないと早めに言っても良かったと思います。内藤さんはもう遅いとおっしゃられていますが、皆さんもご存知のように今の日本にはすぐれた事務所があります。日建設計も含めたチームは、かつての母親に患されることなく、今の段階からでもお金の問題も含めて、東京にふさわしいものをつくれるだけの実力を持っていると私は思います。
(内藤──そうかもしれません。(会場笑)ただ、離婚調停はなかなか苦労するとも思いました。確かに、ひょっとしたら1年前であればそういうこともあったかもしれません。)
槇──いや、今でもできるんじゃないですか。
(内藤──なかなか厳しいですね。できるかもしれないということで離婚するわけにはいきませんから。)
槇──森喜朗元首相も3000億円という概算値が2013年の11月に講評されたときはあんな建築は止めさせろと言ってしまったわけですし。私ができるかもしれないと言っているのは、今決心すれば、世界に誇れるかどうかはわかりませんが、普通の競技場ができて、(会場笑)それが一番われわれ都民、国民にとって幸せじゃないかと申し上げています。
(浅子──槇さんの、いいものができたと思う人は絶対に世界中誰もいない、という話は流石にないんじゃないでしょうか。未来は予測できません。ザハ案ができた後に良いと思う人が絶対にいないとは言い切れないでしょう。
槇──そういう話しているのではなく、あくまで目的を充足しない欠陥物によって元気が出るのかもしれませんが(会場笑)、そういうものはつくるべきではないと言っているのです。未来の話を飾り付けて、論点を難しくすることには賛同しません。
(浅子──今回コンペをやらずに進めようとしたところを無理矢理国際コンペにしたという話も聞こえてきています。仮にそうだとすると、コンペになったことそのものは、クローズドに決められるよりは民主的であり、少しは前進したのではないでしょうか。
槇──しかしたとえば、1964年の丹下先生の代々木の競技場はですが、コンペで決められたデザインではありません。まず監修者を選び、その後設計者に近いものをまた別のかたちで選考したというプロセスは非常に不思議です。どうしてこのようなことが起きたのかと言えば、もしこれを国内コンペでやれば組織事務所中心になってしまうので、国際コンペにしたのだと思います。しかし、当局者は誰が最優秀賞になろうと信用しなかったということです。これだけ複雑なプログラムがあり、地震がある国で、やはりちゃんとした日本の設計事務所がつかないとできないのではないかという懸念から、監修者+設計者という母親と養父の組み合わせができてしまったのです。私自身、言い出しっぺでしたので、この1年間で膨大な情報が入ってきました。やはりいろんな人の思惑や心配はこの不思議な体制からつくられたものです。監修者にどれほど権限があるかもはっきりしないままに、まあ皆さんで話し合えばいいんじゃないですか、というかたちで物事が進んできて、問題が起きたというのが私の認識です。だから、未来の話はどこにも入っていません。
(浅子──僕が最初に言ったのは、ザハの建築が未来にどう評価されるかはわからないですよねということなんですが。)
槇──ザハ・ハディドにとって新国立競技場は"one of them"だったのです。ご存知かどうかわかりませんが、新国立競技場のコンペと同時期に、カタールの2022年のワールドカップ競技場の改装デザイン案がありますが、そっくりですし、同じ構造です。だから、平気で敷地が狭いから少しはみ出してもいいじゃないかという提案をしたのです。ただ、ザハ・ハディドの建築の良し悪しは、今後の日本の建築界の話をしたいときには重要な論点ではないと思います。ザハ建築の話をしたってしょうがないのです。
(青井──・・・やはり槇さんが指摘された問題には、アイコンを選べばいいというコンペの姿勢がかなり尾を引いていると思います。)
槇──アイコンを選んで、それをIOCに見せれば東京に来る可能性が高くなるというような考え方は、建築家ではなくコンペの立案者のなかにあったのかもしれません。しかし、「シドニー・オペラハウス」や「ポンピドー・センター」は、誰も既に確立されたアイコンだとは誰も思っていませんでした。最終的にアイコニックな建築になるということが大事であり、アイコニックなものをつくってきたキャリアや、名の通った建築家から選ぶことがより大事であるというメンタリティは当時の建築界にはなかった思います。
③<質疑応答>
槇──私は非常にリアリスティックな面があり、どういう風にしたら今の案がボツになり得るかと考えています。まず10月31日頃に各ゼネコンから出てくる結果が左右すると思います。技術的に、あるいはお金的にできないということであれば考え直さなければいけません。もうひとつは、部分のモックアップをつくってみて失敗するということもあり得ます。その時に当事者、JSCは他の案を持っていないと太平洋戦争の呪縛のようになり、それこそ世界的にみっともないことになります。やはり、技術的に問題が多過ぎるということを世論としてつくっていくことは大事です。それに対して、現在のメディアはあまり役に立っていません。意見は出てきますが、多くの人が起きている事態を認識をしなければいけないと思います。おっしゃるように、市民の声や学会の体制も重要で、それはわれわれが今回学んだことです。そういったことを同時に考えていかなくてはいけません。
槇──可動装置や天然芝の育成について、当事者がゼネコンのプロポーザルの結果を待っているというやり方が間違っています。本来、第三者である学会の有識者が徹底的にチェックする必要があります。つまり、今の設計チームはそれだけの知識を持っていないことを告白しているわけですから。ゼネコンのプロポーザル方式に頼ったということは、やはり何とかなるんじゃないかという意識を持っているということです。そういう問題を考え直す文化をつくっていくことが必要です。私自身も学ばせていただいたことが沢山あります。
この案を阻止するためには、多くの人に問題を知っていただく必要がありますが、やはり新聞は限界があります。学会誌や建築メディアはもう少ししっかりしてほしかったです。そのなかで『日経アーキテクチュア』だけは評価して良いと思います。答えまでは出さないですが、必要な情報を出してみんなに考えさせてくれた唯一のメディアでした。
④<後日提出文書>
(付記・・・上記シンポジウムの発言者である槇文彦氏より、当日の発言の補足として、以下の文書を付していただきたい旨要請がありましたので、以下に公開させていただきます。)
10月1日のシンポジウム、御苦労様でした。いずれその要約が建築学会誌に掲載されると思いますが、その際私の第一部、第二部での発言の要旨をもう一度申し上げますので、特に私が重要だったと考えていたことは、はっきりと伝えていただきたいと思います。要旨の後にimplicationとしたところは必ずしも10月1日の発言にはなかったかもしれませんが、発言の背後にあった気持ち、考えを述べてあります。
この文は今後編集に関係される方には是非お見せして下さい。尚主要要旨は槇チーム、放送関係の方にも伝えてあります。
1. これは誰の設計なのか
添付した第一の表にありますように、2011年に国際コンペの結果発表された案はザハ・ハディドが建築家でした。しかし2012年10月に2020年オリンピックが東京に決定した後、急遽調査されたコストが原案では3,000億円に達する事がわかり、既に決定されていた設計者、日本チームの主導のもとに1,300億円削減された2014年5月29日案は明らかにザハ+日本チームの合同案です。しかし更に注目すべきは2014年8月に日本のゼネコン7社に対し、デザインビルド方式で最終的に10月10日までに彼等の責任において、どのような技術・施工方式であれば適切なコスト、スケジュールで5月29日案を前提とした案が可能かが求められ、その結果を第3者も含めた前述の設計チームが選定し、それに基づき今後の実施設計を行なっていくという考えです。そこではザハ+日本設計チームに更に選定されたゼネコンが設計・施行者に加わるという方式であり、主体不明確な設計組織が実施設計にあたるというものです。
Implication: もっとも不可解なのは普通、デザインビルドとは白紙の前提条件のもとで、選ばれた設計チームと施工会社が協同で行なうものであるのが、そのどちらでもない方式であることです。察するにザハ+日本チームはこのまま実施設計をおこなった場合、後述するさまざまな技術的は問題(可動式屋根、完全な天然芝の育成、妥当なコストへの収斂等)への自信が全くない為に考えたDB方式であり、自分は選定者側にまわり、ツケを全面的にゼネコンに押付けようと意図しているといえます。従って国際コンペにおいて決定されたのであるから、その原案を出来るだけ尊重しなければいけない、或いはそれに近いものを実現すべきだという論旨はナンセンスだということになります。尚、ザハのホームページには原案は記載されていましたが、5月29日案になったところで新国立競技場案は消去されているということを付記しておきます。
2. 技術上の諸問題
a. 最大の問題は本当にザハの曲線を主体としたフレームの中で、一万数千平米の伸縮性のある膜を常時作動し、しかも今後予想される突然の豪雨の集水、止水、流水に対応し得るか、或いは耐用年限の低いC種膜(?)の取換えが高所において可能なのか、こうした一連の諸問題に対して解決の自信がない為にデザインビルド方式を急遽採用せざるを得なかったと思われる。
b. 厖大な8万人収容のボリュームに対して開口面積の少ない(例えば大分銀行ドームに比較しても)この新国立競技場で果たして、さまざまな制約を受けながらスポーツ各種競技に満足し得る天然芝の育成と保持が可能か(可動天蓋と異なり、モックアップで試行することは出来ない)その為南面を1万㎡以上高透過ガラス面で対応しようとしたが、必要な暗幕機構もフレームの曲面体に対応する複雑なものにならざるを得ない。
c. 一方利益を生むと称するイベントホールは遮音性、ジャンピングがつくり出す振動に対する対応案もなく、極めて市場性に劣るものでしかない。
3. 既に破綻している有蓋施設の収支計画
JSCより公表されている今年2回に亘る収支計画(別表参照)から明らかになっていることは、初めの収支計画は収入50億、支出46億であった。しかし収入50億の半分を占めるパートナーシップその他の高額収入は到底望めないという判断から次の修正収支計画では収入38億に対し利益5億を確保する為に支出は33億というかたちで帳尻をあわせている。その時特に注目すべきは、初回年間14億であった修繕費を年間6億にしていることである。しかし別表のライフサイクルコストの表でわかるように年間6億とは公共施設に於いて最低必要と考えられている50年間の費用が建設費の最低40%に対しその半分の20%にしかならない。しかも建設費は恐らく2,000億〜2,500億に達すると考えられていることから考えても、到底見合う数字ではない。しかも委託費に想定されている年間20億も、既に述べたように確実にコストが上昇することが想定されている清掃費、そして暗幕、可動天蓋装置、可動観客装置、さまざまな天然芝育成装置を含む厖大な管理修繕 コストを考えた時、既に最新の収支計画も維持費の点からみただけでも完全に破綻していることは明らかである。 
しかし興業収入(スポーツ+文化)の中のイベント収入は6億前後であるから、無蓋では収支があわない為にイベントが必要であり、その為に有蓋にしたという説明は有蓋の建設費、維持費の高騰を考えた時全く成立しないことは明らかである。
4. 結論
このような施設を無理に実現しても、不完全な陸上競技施設(常設のサブトラックがない)不完全なサッカー、ラグビー施設(天然芝育成、維持の保証がない)不完全なイベントホール(可動有蓋装置の非信頼性、ジャンピング無対策)更にはポストオリンピックにおいて全く市場性のない過大な8万人収客の規模のこの複合施設は国内外からも嘲笑の目でしかみられない世紀の愚挙であるとしかいいようがない。
しかし多くの人々はあまりにもこうした事実を知らされていないところに問題がある。或いは新聞も含めメディア各紙への寄稿によってさまざま意見は述べ得ても、情報提供機関としては限界がある。但し新聞では東京新聞毎日新聞が善戦している。その点、唯一情報提供機関として建築メディアで機能してきたのは、日経アーキテクチュアを含めた日経グループだけであると思う。 

追記以上