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由利氏記事再検証3 「浮上しはじめた「撤退論」(後半)」

文藝春秋9月号記事と考察続き。
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浮上しはじめた「撤退論」(後半)
 そうこうするうちに年は明けて二〇一五年。二〇一九年九月に開幕するラグビーワールドカップに間に合わせようとすれば、もはや四年半余の猶予しかない。施工側は、解決策の見えない作業にいよいよ行き詰まりを覚えるようになる。このころ、スタンド工区を任されている大成建設と、屋根工区を担当する竹中工務店の首脳が極秘会談を開いたというも流れた。トップ会談でないと決められないこととは何か。「撤退論」が業界で囁かれるようになった。
 しかし、国家の威信をかけた一大プロジェクトから逃げるわけにはいかない。特に大成建設は、六四年の東京五輪のために、わずか十四カ月の短工期で旧国立競技場を完成させたことを誇る伝統がある。そこで、大成建設を筆頭とする施工業者たちは一計を案じた。ザハ案維持を譲ろうとしない文科省やJSCを飛び越え、官邸に直談判に向かったのだ。今年の春先のことだ。官邸スタッフが証言する。
 「悩みを打ち明けられたのは、国土交通省住宅局長などを経て、一昨年から国土強靱化などの担当として官邸入りした和泉洋人首相補佐官です。業者の話を聞き、重大性に驚いた和泉さんは、すぐに上に報告しました。ただ、安保法制を始めとする懸案事項が山積みで、『ザハ案は危ない』という危機感は、思いのほか官邸内で共有されませんでした」
 焦った和泉氏は、内閣府の五輪事務局に、国交省で営繕部長まで務めた大物技官を送り込み、文科省・JSC主導の事務局体制に楔を打ち込もうとした。
 「大型工事の経験が乏しい文科省では無理。技官を豊富にそろえ、国のさまざまな建物の構想、立地調査から設計、引き渡しまでを仕切る営繕部を持つ国交省主導に切り替えようと和泉さんは必死でした」(同前)
 実際、文科省・JSC主導の体制は、この期に及んでも、「イノベーション」を合い言葉に最先端の技術を凝らした「近未来のスタジアム」にこだわっていた。前出のゼネコン所属の技術者が言う。
 「例えば、天井を覆う素材に挙がっていたテフロン膜です。ザハ案では、開口部分がひどく小さくなってしまい、屋根を開けた状態にしてもあまり日の光が差さないから、芝生が育ちにくい。するとJSCは、不透明なテフロン膜しかこの世には存在しないのに『透明で強度のある新商品をすぐに開発しろ』と夢のようなことを言い出したのです」
 こんな話もある。
 「高さ七十メートルにもなる巨大空間にどうやって煙を感知する防火センサーを設置するかも問題でした。現在開発されている最高精度の商品でも約四十メートルの距離しか感知できない。これもJSCは『開発しろ』の一点張りでした」(同前)
 ザハ案に拘泥する文科省・JSC体制は、新国立競技場を実験台にして夢を語るが、ゼネコンや建材メーカーは、現実を前にお手上げ状態。残された時間は刻一刻となくなっていった。
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[考察]
(9)<業者の話を聞き、重大性に驚いた和泉さんは、すぐに上に報告しました。ただ、安保法制を始めとする懸案事項が山積みで、『ザハ案は危ない』という危機感は、思いのほか官邸内で共有されませんでした
→この辺は検証報告書には全く出てこない。実施設計段階での政権中枢への報告として記載されているのは4月10日JSC河野氏による下村文科大臣への報告になる。
<4月10 日には、河野理事長から下村文部科学大臣に対し、工期については、技術協力者・施工予定者は58.6 ヶ月と試算しており、ラグビーワールドカップが開催される平成31 年(2019 年)春の竣工には、開閉式遮音装置の後施工等が必要であること、工事費については、JSC及び設計JVの試算額(2,112 億円)と技術協力者・施工予定者の概算見積額(3,127 億円)には大きな乖離があり、工事費の高騰要因として、経済情勢の変化・建設資材、人件費の高騰、資材の大量調達によるコスト高止まり、消費税増税、技術協力者・施工予定者の事情として施工リスクの上乗せ(工事費・工期)及び工区間調整の難航があることを報告した。(検証報告書P32)>

和泉氏が検証報告書には自らの動きを載せないようにしたか。しかし、国交省営繕部中心の推進体制構築などで和泉氏主導は明らか。裏方として動きを伏せておきたいとしたら、人それぞれ仕事のやり方はあると云うことで理解出来る。だが今回検証委員会の活動期間が異常な短さだったのも同氏意向が働いている可能性は高い。同氏の動きだけでなく、全体の真相解明が不十分になった。
和泉氏は「自分だけは知っているが国民には知らせない」というやり方で完成までの長丁場を乗り切っていけるのだろうか。

それでも仕事師としての優秀さはさすがで、新コンペ審査に関しても国民の見えないところで事前掌握が進んでいる。
技術提案等審査委員会のメンバーは内閣官房に設置された「整備計画再検討推進室」にオブザーバーとして参加しているという。

反面、新コンペの非公開姿勢は最近以下記事のように修正が見られた。審査委員会を営繕部人脈で固めた和泉氏も情報秘匿だけでは持たないと考え始めたか。今後の新コンペ推移が注目される。
<デザイン案を含む技術提案書の公表時期を、十二月下旬の業者決定に先立つ上旬に前倒しする>

⑩<文科省・JSC主導の体制は、この期に及んでも、「イノベーション」を合い言葉に最先端の技術を凝らした「近未来のスタジアム」にこだわっていた。・・・ザハ案に拘泥する文科省・JSC体制は、新国立競技場を実験台にして夢を語るが、ゼネコンや建材メーカーは、現実を前にお手上げ状態。残された時間は刻一刻となくなっていった。
→JSCや文科省にはこのような面もあったと思うが、検証報告書によると今年2月13日JSCは既に見積り乖離の収束は困難と見て、「大胆な削減策」=仕様変更の可能性を文科省に報告している。
<平成27 年2月13 日、JSCは、これら技術協力者・施工予定者及び設計JVからの報告を基に、鬼澤理事、山崎設置本部長らが、久保スポーツ・青少年局長に対し、「現時点でのゼネコンの試算では、(設計JVの試算より)6割程度高めとなっており、今後それらを精査することとしているが、この乖離を収めることは困難と想定され、価格交渉後においても乖離が大きい場合、大胆な削減策を考える必要があると考える」と報告したことが確認できた。(検証報告書P31)>

また、検証委員会は「JSCは当事者としての能力や権限がない」と批判しているが、設置本部長には技術系の山崎氏を当てている。同氏はヒアリングで以下のように述べている。
<○ ザハ・ハディド案の審査のときにも文部科学省文教施設企画部参事官という立場で手伝いをしていた。当時、JSCには、いわゆる技術系の職員がほとんどいなかったので、技術支援をしてほしいということをスポーツ・青少年局から文教施設企画部に依頼があり、手伝うことになった。
文部科学省への説明については、ケース・バイ・ケースであるが、私と理事とが説明しに行くことが多かったかと思う。その理事は技術系ではないので、2人で説明した方が、技術も分かるということで、大体2人で動いていたと思う。文部科学省に行くときは必ず理事長に了解をもらってから行っていた。>

更に同氏以外にも文科省文教施設企画部からJSCへ出向していて、同部元部長「関」氏のヒアリングでは以下のようになっている。
<○ 設計・施工の課題についての情報交換・相談、実施設計を技術協力者・施工予定者を選定の上、実施するというやり方を採るに当たっての国土交通省財務省との相談、開発許可の手続き等JSCの事業が円滑に進むよう支援を行ってきた。人的支援は平成24 年4月1名、10 月1名、平成25 年4月に5名追加というように、事業の進捗の必要に応じ、JSCの要請を受けてこれまでに派遣している。>

また同部技術参事官「新保」氏は、同部の業務について以下のように述べている。
<文教施設企画部は学校関係が中心だが独立行政法人にも技術的な支援を行うということで国立新美術館の建設、ナショナルトレーニングセンターの建設、九州国立博物館といったものに支援を行ってきた。>

この中で例えば六本木の国立新美術館は、黒川紀章氏デザインの総工費350億円という都心の巨大プロジェクト。これなどにも技術的支援を行った部門から設置本部長を始めとして人員がJSCに行っているのだから、単なる素人集団ではない。また、独立行政法人とはいえ、山崎氏や担当理事は所管する側の文科省からの出向者。権限の問題も、JSCだからということではなく、文科省内での序列の話になる。実質一体組織として、JSCの理事や山崎氏の上にまだ文科省幹部がいるため大きな案件は了承必要だが、その分実は同じ組織の仲間ということになる。実際前任の藤原元理事は文科省に戻って次官候補という報道も有った。
河野理事長は外様の立場で、同氏を通じた政界等からの影響は有るだろう。しかし、良し悪しの評価は別にして、JSCのザハ案建設における中枢ラインは文科省出身者で占められていたという実態が見過ごされがちになっている。

ただし、施設企画部からの出向者が技術系としての能力をどこまで発揮できたかは不明だし、山崎氏はザハ案の推進について2013年後半時点での考え方を以下のように語っている。
<○ 平成25 年8月20 日にコンパクト案を報告しているが、オリンピック・パラリンピックが9月8日に決まって、ザハ・ハディド案の屋根が動く姿は世界中が見ているということで、1,300 億円を超えても良いかどうかというよりも、ザハ・ハディド案でいかなければいけないという雰囲気があった。その後、ザハ・ハディド案を中心に進めるという提案は、文部科学省にさせていただいている。キールアーチや立体通路の2つがデザインとして特徴のあるものだったので、それは意識して対応していたと記憶している。

それでも前述のように、20125年初頭には設計JVとゼネコンの見積り乖離に対し、早々と収束不能の判断をしたことは技術系としての見方ではなかったか。結果的に2014年における「ZHA+設計JV」とJSCの関係が鍵のような気がしてきている。それに繋がる可能性があるのが先日紹介した東京新聞森本記者の記事。
<「日本の設計事務所は能力が低いのでしょうか」。昨年(2014年)春、東京都内のJSC本部に呼ばれた建築関係者に、複数の幹部職員が弱り切った様子で切り出した>

個人的見解ではあるが、特に基本設計に入ってからJSC幹部が設計JVに対して不信感を持っていた可能性が有るのではないか。
更に先日記事でも紹介した「ZHAがゼネコンとの協働を禁じられたと主張している」件でも、JSCとの間をつなぐはずの設計JVはどのような立場だったのか。JSCと設計チーム、特に中心となった日建設計との関係がやはりポイントと思われる。

以上