”ひるおび!”での「ザハ+日建設計」入札参加解説
(注: 文藝春秋9月号由利俊太郎氏記事の情報出所が「文科省内部からではないか」という推測のコメントは当ブログ9月8日記事コメント欄にあり、それに対する当方見解は9月10日記事追記にあります。本日9日記事はその件への言及はありません)
(情報が日々入ってくるので取り混ぜてやっていく予定)
まずTBS製作模型のキールアーチが途中までしかなく、真相暴露かと思った(笑)
しかし、やはりTVではそのような深い解説までは望み得ず、森山氏出演もあったがコメンテータ発言も事前調整があると思われ、「建てられなかった」という話には至らなかった。
Q.なぜ独自デザインでなくザハと組むことにしたか?
A.この2年、設計にかかわる細かい計算や修整を重ね
実際に建設できるところまでたどり着いていました
積み重ねたものを無駄にしたくない、この経験は次に必ず活かされると思い
同じメンバーで行くことにしました
Q.キールアーチは残しますか?
A.前回のデザインを変更・改善するという検討はしません
開閉式屋根がなくなれば 構造も当然変わるので
まったく違うデザインになるかもしれないし
共通する部分がでてくるかもしれません
日建設計としては「2年間の経験」を強調し、「実際に建設できるところまでたどり着いていた」とのこと。その割には「前回デザインの変更・改善は検討しない」そうである。
だが、前回デザインを評価する声は多いのだし(当方もその一人)、建設出来るというならザハ側主張のゼネコン費用問題を今度組むゼネコンと調整すれば良い。既に出来上がっているという設計図の改良で、一からの他案に比べ少なくとも半年以上は早く着工できるのではないか。今回のタイトなスケジュールにおけるアドバンテージは大きく、新コンペは工期が費用と並んで最重視されるから、費用が同じぐらいなら余裕で勝てるだろう。
日建設計からは正式プレスリリースも出ている。
”ザハ・ハディド事務所と設計チームを組成”2015年9月7日
<これまでの設計では、敷地特性の分析・把握をはじめ、多様で複雑な機能の関係性を紐解きながらアスリー
ト・来場者・管理者等の使い勝手、安全性、快適性、景観などに関して関係機関との膨大な協議を積み重ねてきました。設計の成果は4,000 枚を超える実施設計図にまとめ、技術的には建設に着手できる内容となっています。>
「建設着手出来る4000枚超の実施設計図」があるそうだが、その中の「アーチタイ」図面だけでも見せていただきたいものである。着手可能だったと云うが、着工申請は白紙見直し前の段階でどうなっていたか。またスタジアムの一番下に入るアーチタイの基礎工事から始めることになるだろうが、アーチタイ用免震装置は開発済みで発注は済んでいたのか。その免震装置のメーカーはどこか。
このように見ていけば、まず間違いなく建設着手は無理な状態だったと思うが、延々とシラを切り通すのが山梨氏率いる日建設計の方針か。ザハ側も反論ビデオで「キールアーチが屋根を支えている」とシラッと言っているが、アーチタイ追加前に日建設計が支持構造で苦しんだ話は無いことにしている(アーチタイが実現難しいことも無視)。
似た者同士のコンビで今度はうまくやれるのかも知れないが、少なくとも道義的には前回の経緯と反省を明確に表さないままでの入札参加は問題有り(不完全設計での設計費満額受領の問題も潜在的にはある)。
ただ、当方は新国立競技場問題に「日本の民主主義」の現状と将来を重ねて見ようと考えている。新コンペ結果も民主主義で考えて、国民世論の支持が得られれば、どのような仕様でどこが落札してもOKと思っている。ただし、結果責任も国民が負うことになる。
新コンペでは一応JSC内に設置された技術提案等審査委員会が中心になって審査を行うようだが、前回コンペからこのかた専門家の頼り無さはずっと見せつけられて来ている。今回は応募案も公開される可能性が高く、ネット上で賛否を募るなどの活動も当然行われるだろう。政府側も整備計画策定にあたってネットで意見募集したから、参考としてのネット投票などを政府が行うことも考えられる。今後の国民からの反応に注目しようと思う。
以上
[追記]
昨日藤村氏記事に関するコメントを頂いた。
本文で「新コンペと民主主義」について書いたが、同氏記事への反応についても民主主義との関連からも関心を持っている。技術的問題が社会に影響を与えることが増えていると思うが、技術者ではない一般の方々の技術的問題への反応分析と云う観点である。
本文で「新コンペと民主主義」について書いたが、同氏記事への反応についても民主主義との関連からも関心を持っている。技術的問題が社会に影響を与えることが増えていると思うが、技術者ではない一般の方々の技術的問題への反応分析と云う観点である。
同記事に「分かりやすい」との反応が多くある理由の一つとして、以前記事で「技術的な話がほとんど無い」と云うツィートを紹介した。その後更に考えてみると、一般の人は技術的な話が分かりにくいだけでなく、基本的に「長い話」も苦手なはずである。
それが藤村氏記事への反応では「長いけど、なるほどなあ」、「超絶長文テキストだけど、読んだほうがいい」、「あまりにも長いんだけど、この長さがないとサワリすら説明できない」など、長さに余り否定的ではないのが不思議。
文章や筋立ての上手さがあるのか、とも思うが「ゼネコンの決め方」の部分など非常に冗長と思われる箇所もある。ただ、コメントで頂いたように本来は難しい言葉を駆使される人なのだと思われるが、この記事に関してはそれは少なめなことが功を奏しているかも知れない。(伊藤記者の功績もある?)
ただし、話の内容に関しても、受け手が一般人であっても本当にこれで納得するのかと云う部分もある。例えば<設計という仕事は、8割……いや9割は調整です>など。
これに対しては、当方が考える設計における重要性の割合は、8割9割が基本設計だと思っている。「基本コンセプト・基本デザイン・基本構成/構造」などである。
この辺は事前に調整もするが、殆どは自分のみか少数での分担の場合が多い。これさえ上手く出来れば、詳細設計に落としこむ業務は調整も含めて他の人にやってもらっても良い(適宜チェックは必要)。藤村氏の「調整」が何を指すかもあるが、少なくとも基本設計が殆ど調整と云う設計者は少ないのではないか。
整理すると、一般の人に設計者・技術者の仕事を説明する場合、以下の2つでどちらが理解されやすいか。
A…設計という仕事は、8割9割は調整です
B…設計という仕事の出来不出来は、8割9割は基本設計で決まります
Aが多いなら、当方は考え方を全く変えなければいけないかも知れないので戦々恐々(笑) なおザハ案での建設問題に重ねれば、キールアーチの基礎構造と云う基本部分の検討が出来ていれば、建設可否がすぐ分かって混迷自体は避けられた。このように具体例でもどちらが適切な理解か分かると思う。
<daichi ito @daichi · 9月2日
建築家の藤村龍至さんが、「設計という仕事は、8割……いや9割は調整です。図面を描くのは、その調整の結果を落としこむ、最後の仕上げみたいなもの」と。・・・>
どの仕事にも共通する部分があると思うから、伊藤記者ご自身の仕事で考えて見られたら如何だろうか。記者の仕事も8割9割が調整になっておられるだろうか。記者だと特に調整は多いと想定されるが、「誰にどのようなテーマで、何時どのように聞いてまとめるか」と云う基本コンセプトが本質的に最重要なのではないだろうか。
藤村氏の考え方及びそれに対する一般の人の反応、それと伊藤記者の仕事は色々興味深いので又書いてみようと考えている。
ここまで書いて本日は終わりのつもりだったが、本文の「ザハ+日建設計」の関連で藤村氏記事の<見積価格の高騰はキールアーチが問題なのではなく、キールアーチの提案は求められたスペックに対するむしろ合理的な判断>について書いておくことにしようと思う。
山梨氏と日建設計にも言えることだが、例えば昨日紹介したように以下のようなスカイツリー基礎の概念図が同社HPに出ている。ここまで詳細で無くても、建築を学んだ人ならキールアーチの根本に必要な基礎を概略計算して図にすれば、敷地に収まらないことがすぐ分かるのではないか。収まらなければ合理的もへったくれもない。このような確認が出来なくても専門家と称されるのが建築の世界なのだろうか。そうだとすれば当方の理解を超えている。
追記以上