kensyou_jikenboのブログ

yahoo!ブログの同名ブログを移行しました

基礎技術開発不足とコンペの考え方

このところザハ案についてデザインと機能面から検証してみたが、ザハ案が選ばれたコンペそのものについても検証してみる。
「公募開始から締切まで約2ヶ月という期間は、検討項目の多さに比して時間が短すぎた」と云う批判がある。様々出されている建築専門家コメント等でも、おしなべて「最低でも半年程度は必要だった」とか「1年ぐらい」という見解であったように思う。

それでも当方から見ると、コンペには更に大きな問題が有ったと思える。「開閉機構まで入れたらもっと無理な期間だった」、つまり開閉機構を軽く見すぎていたのではないか。
開閉機構は建築物というより工業製品の一種のようになるだろう。例えれば特注の巨大なエレベータやエスカレータなどか(人は乗らないが)。或いは巨大な電動のシャッターかブラインドのようなものか。いずれにせよ試験が大変になることは別業界の当方でもよく理解できる。
開閉屋根式スタジアムを成り立たせるための基礎技術である「開閉機構」は別途事前開発させておいて、品質確認できたものを使用する条件でコンペを行う必要があったと思う(それは1年でも出来ない開発になることは確実)。
他の開閉機構の採用も認めるが、同等以上の性能と信頼性が保証されていることを必須とすれば良い。これなら建築家が得意な領域に絞ってコンセプトやデザインを考えてもらえる。

例のない巨大屋根開閉の基礎技術を固めずに、あのまま強行着工していたら、キールアーチだけでなく開閉機構でもNGになっていた可能性が高かったと推測する。
その点をもう少し補足すると、仮に年間20回開閉するとして50年使用したら1000回にもなる(回数は雨だけでなく暑さ寒さ対策等でも開閉するともっと多いかも知れないし点検開閉も有るだろうが仮なので切りの良い数字にしてみた)。途中でメンテは入念に行うにしても、元々の設計はメンテ込みでどれぐらいの開閉寿命を見込むのか?
50年の使用に耐えられない寿命なら途中で全体交換も考えることになるが、その場合は交換しやすい設計も必要になるしメンテも含めた部品供給の問題もある。交換前提で例えば25年で計500回の開閉寿命を持たせるとしても、当方の感覚では10倍の5000回ぐらいの開閉試験をすることになると思う。長期に使うから部材の劣化等もあるので、初期の試験では少なくとも10倍ぐらいは持たないと長期での品質保証は難しいだろう。

しかし、デザインコンペ募集要項を見ると、「テーマ⑤:構造計画、屋根の架構及び開閉機構に関する考え方」と云う一行があって「考え方」の提出のみ求められていた。後は「天候に影響されない利活用を実現できる開閉式の屋根」や「天候に影響されない快適な観覧環境を実現できる開閉式の屋根」といった利用上からの表現が有るぐらい。
「よくコンペをやったなあ」と云うのが当方の率直な感想。「開閉機構事前開発」どころか、開閉機構にどのような基本性能が求められるか(例えば耐候性や開閉に要する時間等)も示しておらず、開閉保証回数の設定さえもない。これでは応募者もその程度のラフさでいいんだなと考える。

また、公募者側(JSC)もコンセプトやデザインで決めてから、後は日本側設計会社やゼネコンに任せれば何とかしてくれるという発想だったことが推察される。応募者には開閉機構について実質的な制約を課していないような公募条件だから、発注者側が責任を持つしか無い。実際JSCの考え方を示す文書が有る。
新国立競技場の設計については、設計JV(日建設計・梓設計・日本設計・アラップ設計共同体)の担当建築士が設計責任を追うことは当然であり、議論の余地はありません。その上で、単に設計者サイドのノウハウのみならず、施工者サイドからも技術提案を求める工夫を行うほか、国内外の学識経験者、実務専門家等からも具体的な提案を含めた協力をいただき、設計を進めているところです。
ご指摘の開閉式遮音装置に関しては、基本設計における開閉式遮音装置の工事費は約95億円程度と見込んでおり、現在、軽量構造可動屋根の設計実績を多数有しているドイツのSBP(シュライヒ事務所/Schlaich Bergermann und Partner)の協力を得るほか、国内外のメーカーにも協力いただき、実施設計作業を進めているところです。

開閉機構については実績のあるところと協力していたようだが、本来は前述のようにもっと早くから事前検討や試験が必要で、縮尺モデルや実物大モデルまでも作るぐらいの慎重さでやらないと、信頼性の有る開閉機構は実現困難だったと思う。ただ建築関係は一般的な工業製品とは違って基本的に一品物だから、考え方が違ってくることはやむを得ない。しかし、可動部分は難しいことも確かである。(基礎開発がJSCで出来ることでは無いのも当然なので、関係する官民協力が必須だったと考えられるが、この辺はまた別の機会に記したい)

このような事情に加えて、安藤氏が先月会見でも述べたように「2013年1月の五輪招致ファイル提出に間に合わせるため、短い準備期間での国際デザイン競技開催となった」と云う条件が加わっていた。結局「本来コンペはどうすべきだったか?」の反省が必須。
新国立でのコンペは過ぎ去った話ではなく、白紙見直しでのコンペが今後予定されている。開閉機構無し等で事情は違ってきているとは云え、工期や工費に対する要求は厳しさを増した。これだけ注目されたから前回のような無理を承知の見切り発車のようなやり方は困難。政府は自らの反省も踏まえてどのように仕切るか。

なお、ザハ案の開閉機構について調べたら、表彰式のプレゼン図に膜の格納位置があったのでご紹介。下図のようにキールアーチ内に収納する構想だったようである。キールアーチの断面が大きいのは、膜収納という要因も影響していたかもしれない。また、開閉屋根部(遮音部)が単純な形状ではないから、実際に建てていたらスムーズに動かすのもかなり難航したことと思われる。
イメージ 1

以上