メール補足及び片山氏の精神的特色
(本日2本目記事)
先ほどの記事について、特に片山氏の心理面で以下の様な多くのコメントを頂いている。
>本気で騙すつもりだったんですかね?
>もっと巧妙に行うこともできたのでは?
>防犯カメラの存在はもうわかっているはずなのに、・・・
>捕まりたかったのか捕まりたくなかったのか?
>何がなんだかわかりませんわ。
当方の現段階での見解をご紹介。
まずは、メールについて1本目記事で省略した内容を補足。
satoru氏はメールが迷惑メールフォルダに入っていたため、16日夜に解析結果を掲載。
当方はそれを見せて頂いて以下の点を確認できた。
(2)yahooのアカウントが新規になっている
(3)Torではなく生IPで、Sonet系のプロバイダになっている
これらは別の真犯人が送ったとすると、以下のように違和感が出てくる。
(1)…何故それまでと同じようにyahooのwebメールを使わないのか?
(2)…yahooのアカウントを新たに取ったのに、何故アカウントを使わないSMTPか?
(3)…Tor使いの犯人が、何故生IPで送ったか?
しかし、上記のように既に(1)~(3)で、真犯人からと云うには怪しさ一杯のメールで有ることは、特に技術者であれば分かっていたと思う。
弁護団には届いてなかったので野間氏は解析していなかったと思うが、後で落合氏などから入手して解析したり、satoru氏ブログを見たりしたら、すぐ同様の見解に達していたのは間違いない。
つまり、野間氏も苦しい立場になるところを、早期の河川敷埋設発覚で救われたことになるだろう。
当方はメールヘッダーを読むのが得意ではないため、satoru氏記事で(1)~(3)を確認して、あとは生IPなので使用者が遅くとも月曜日には判明していると考えて待っていたら、仕事の早いsatoru氏は日曜日の段階でAndroidと遅延メールの可能性を指摘していたという経過。
その後月曜日午前からの急展開は皆さんご存知の通り。
これが冒頭の皆さんのコメントにどう繋がるかというと、特に技術系の方はもうお分かりと思うが、別の真犯人が出したというには疑問だらけの稚拙極まりない仕掛けであったということ。(メール内容自体は犯人からと分かるものだった…当ブログ5月16日記事「真犯人と名乗るメールに関して」で根拠を掲載)
よって、「捕まりたかったのか捕まりたくなかったのか?」という点に関しては、「本人は捕まるつもりは無くてやってるが、実際はやり方が稚拙すぎて捕まりたいと思っているようにも見えてしまう」と云うのが真相と当方は現在考えている。
これは「捕まるつもりは無かった」という証言があった江ノ島の件でも証明されたと思っている。
(人出の多い江ノ島で無くても幾らでも方法はあるのに、無謀とも思える江ノ島を選んだのは、もしかして捕まりたかったのではないか?という想定は、「監視カメラの存在には気が付かなかっただけで、捕まるつもりはなかった」という片山氏証言で否定された)
「本気で騙すつもりだったんですかね?」については、捕まるつもりがないのだから騙すつもりは本気だったことになる。
問題は、捕まるつもりがなく騙すつもりなら、「もっと巧妙に行うこともできたのでは?」や「買い物や移動における防犯カメラの存在はもうわかっているはずなのに、・・・」という疑問になる。
メールの仕掛けに関しても、片山氏もある程度経験を積んだ技術者でパソコンオタクでも有るから、自分で稚拙すぎることはすぐ分かって当然。それでもやってしまったのはどういう訳か?
これは「考え方に抜けが多い」という片山氏のキャラクターから来ている、と云うしか無いと考えている。
それの補足説明で考えたのが、先日紹介した心理のイメージ図で、「2重(多重)人格全体は一人分の頭脳キャパシティに収まりきれず、抜け落ちる部分が出てくるのではないか」という仮説になる。
ただ、「そんなことが本当にあるのか?」ということになると、当方も精神医学的な証明は出来ないので、結局は「何がなんだかわかりませんわ。」と云う状態と余り変わらなくなってくる(笑)
ただこの展開を受けて考えてみて新たに感じたのは、片山氏がサイコパスと定義した「嘘が平気でつける人」やその結果としての「身勝手な人」は一般的にも見られるが、当方の過去の経験からしてもそういう人は友達が少なかったと思う。
しかし、服役後の片山氏は友達が多いと言われるようになったということで、この辺が片山氏の不思議さの根本に繋がるかもしれない。
また、佐藤氏も言っていたように片山氏から「素直さ」を感じるということで、本来「嘘が平気でつける人」や「身勝手な人」には素直さは欠けている性質だと思う。
しかし、片山氏はそうではないということで、相手によってだったり、時と場合によって素直さを出せる所が片山氏の特色なのだろうか。
また、相手に合わせた噓がつけるということが、素直さと似てくる場合があるかも知れない。
今のところの考察は以上。