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技術者ツイートと大局的見方

片山氏保釈で情報が一挙に増えてきた。皆さんからお知らせを頂いて大変助かっている。
本日は別の内容を書く予定だったが、以下の情報が「技術者中心」となっていたので、これには触れておくべきかと思い読んでみた。
”遠隔操作事件第2回公判のまとめ記事に対する反応(技術者中心)”

全体を見た印象は、やはり詳細に入るとどんどん深くなりそうなので、開発関係と全体的視点から見解を2点述べる。
(1)開発期間
「実際に片山氏が開発できたか?」に対する言及はあるが、ごく少数。
しかも、未だに開発期間2ヶ月を前提にしている。
佐藤氏も今はまだ2ヶ月としておられるようだが、こちらは弁護上の事情があるかも知れない。(但し、片山氏が開発したのではないことをより明確に主張するには、初回犯行用iesys開発期間は1ヶ月弱ということを強調した方が適切と思う)

技術者なら開発について考えるに当たって、まず開発期間がどうなのかということを意識する必要あり。
2ヶ月と1ヶ月弱では考えるベースが大きく違ってくるのは当然。
当方が1ヶ月弱と推定した根拠は全てネット上に存在する情報である。
技術者として見解を書くとしたら、開発期間という核心になる重要事項は検察側の一方的発表だけでなく、他の情報も調べて総合判断して書いていただきたいと思う。
昨日は文科系の教育の問題点を書いたが、当然理工系にもある。「自ら調べる」精神を持ってもらう教育が肝心だと思う。

(2)証拠の全体的な位置づけ
本事件では大局的に見ると、当初から較べて証拠の位置づけがだいぶ変わってきていると思う。
例えば江ノ島は、3時16分の写真をいつ警察が入手したかは未だに不明だが、警察・検察側から考えたら入手後速やかに監視カメラ映像と一緒に公表するべきだった。
そうすれば大抵の人は5分間と聞いて、その間に真犯人が写真撮るのは実質的に困難だろうと考えてくれる。
つまり、俗にいう「動かぬ証拠」のように使えただろう。

VSや各種ファイルの痕跡、iesys試作品等の「開発の痕跡」もそうで、早い段階で分かっていたはずだから初回起訴前に公表しておけば、前述の江ノ島の写真や映像と相まって「決定的証拠」に出来た。
世論は被疑者クロの印象を強く持ち、それで納得して関心が薄れていき、後で弁護側が頑張っても検察側のペースで押し切れたことは充分考えられる。
それが検察側の「秘匿と引延し」による対応ミスで、「本当に有罪に出来るだけの証拠があるのか?」という疑念を広く持たれてしまった。

結果的に証拠の位置づけが変わってきて、当初一番決定的になると見られていた江ノ島も5分間に絞れたにも関わらず、全体の論点の中では「one of them」扱いになってきたのではないか。
そして、「開発の痕跡」も同様であり、それらを詳細に解析するだけでは真相にたどり着けるか曖昧になってきている。
参考として主要証拠と思われるものをまとめてみた。(アドバンテージがあると思われる側に◯を付けた)
イメージ 1

結果は単純化して「6勝6敗2引き分け」の両者五分となるが、すぐお分かりのように主要証拠の選び方やアドバンテージの付け方は当方が調整して五分になるようにしてみたものである。
しかし、両者で決定的に大きな差が付く可能性は少なくなって来ていることも、多くの皆さんが感じてきておられるのではないか。

佐藤氏は「量は質に転化する」という有名な言葉を逆手に取って、「量は質に転化せず」と述べて「証明力の低い証拠を幾ら集めても決定的な証明にならない」としている。
それとは別に、本事件では本来の「量は質に転化する」現象も起きているのではないかと思う。
それが江ノ島や開発痕跡の位置づけで、当初はそれだけで決定的と思われていたのに、他にも重要な要因が増えて、全体の中で見ることが必要になったという変化である。

裁判では最終的に全体を見て大局的に判定するのは裁判官になる。
しかし、上表のように基本情勢は概ね五分で、それでも白黒どちらかに決めるとすると、当方がやったような調整を更に進めて、裁判官が重要と思う項目のポイントを上げたりして差を付けて判決文を書くのだろうか。
それでこの事件に関心をもつ国民をも納得させられるだろうか。

自由心証主義では基本的に全て裁判官の思考に委ねられているが、国民の大半はそこまで自由裁量とは思っていないのではないだろうか。
本事件では自由心証主義の功罪にも焦点が当たってくるかもしれない。

以上

[追記]
表を作るためにラストメッセージを見直していたら、犯人はCSRFで書き込ませた文面について<春ごろに読んだ小説「悪の教典」を参考にしました。>と書いている。
片山氏のAmazon購入履歴は6月22日で明らかに「春頃」ではない。
雲取山の「紅葉の初め頃」などとともに、検察は片山氏犯人説に立った上でラストメッセージの内容をどう見ているのだろうか。
特に「悪の教典」は片山氏が犯人としたら「参考にした」とまで明記しながら、履歴が残るAmazonで直前に買ったのに読んだ時期だけ「春ごろ」で偽装した?
こういう大きな矛盾を無視したまま有罪立証だけを押し通そうとする検察側の姿勢は、刑訴法第一条の趣旨「事案の真相を明らかにし」をないがしろにするものではないか。

追記以上