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裁判員裁判と参考考察

昨日記事に対して本日まさゆめさんとrec*lde**des*さんからコメントを頂いている。
ちょうど当方が書こうと考えていた「裁判員裁判」に関する考察の参考資料として適していると思うので、使用させて頂いて本日記事を記す。
 >ハフィントン・ポストの「誤報は違法? 名誉毀損が成立するのはどんなときか」という記事

これは大いに考えさせられる記事。
色々ポイントはあると思うが、まずは単純に言って「一審は賠償22万円、二審・三審は支払い必要無し、と完全に分かれている」ということがある。
よくあることとは云え、改めて考えてみると「では一審は間違っていたのか?間違った判断の責任はどうなるのか?」と問いたくなる。
しかも、他の裁判では一審が正しくて上級審が間違っていた重要事件もある(「東電OL事件」)。

もう一つのポイントは、この裁判が投げかける問題に関する判断である。
国民としては誤報を厳しく咎めて報道機関が萎縮して結果的に「知る権利」が弱められるのも困るし、かと言って「誤報」はやはり困る。
もはや国民のコンセンサスで判断する以外にないということになるだろう。
しかし、裁判ごとに国民全体の意見を聞く訳にはいかないから、3人の裁判官がそれを代行する形になる。

だが、上記のように裁判官の間でも意見が分かれる。しかも国民のコンセンサスを推測して判断代行する役割を、公務員の中でも特別な立場に置かれる裁判官が全面的に担うことが適切なのか。
国民は様々な経歴や職業、境遇や考え方などを持っている。
法律を勉強して司法試験に合格し、司法修習を受けて裁判官を選んだ後は、ずっと裁判官一筋の方々が国民のコンセンサスを推し量るには無理があると個人的には思う。

ただ、裁判官には法律を専門的によく知っているというアドバンテージが当然あるし、色々な裁判の経験を通して国民の声も知って、常々的確な判決を書けるよう研鑽に励んでおられるだろう。
結果的に明治期以降、ずっと職業裁判官による裁判が続いてきた(ごく一時期陪審制有り)。

そこに御存知の通り、裁判員制度が2009年から施行された。
これは実に驚くべき改革であった。
日本では裁判員制度導入に代表される司法改革の前から、行政・政治・金融・特殊法人など多くの改革が、結果はまだ不充分かもしれないが、とにかく大きなエネルギーを掛けて行われてきた。

その中で国家の根源の一翼を成す司法改革も当然求められたが、法曹界という強固なギルド社会では強烈な抵抗に遭う。
それで三権と云われる中で行政・政治の改革が曲りなりにも着手されても、司法改革はずっと後まで残っていたのに、非常に難しいと思われていた司法改革の方がいきなり根本を変えてきた。

「一般常識で判断するなら一般国民のほうが適切」ということを、難関の司法試験を通ったエリートで政治や行政もなかなか手を出せない長い歴史を持つ裁判所という組織に属する人たちが認めたわけで、正に画期的。
それで、現在裁判員裁判は刑事のみだが、仮に民事にも広げた場合、上記の裁判は民間人が多数を占める裁判員裁判で判断すれば、納得性はぐっと高まるだろう。
特にこのような問題の裁判では、どのような結論であれ自らも誤報被害を受ける可能性がある国民の判断ということで上級審も尊重せざるを得ないから、実質一審のみで片がつく。裁判員裁判の効能は大きいのである。
(刑事に限ったのはアメリカの要求が根底にあるのではないかというような話は今回は取り上げない)

更に裁判員裁判の位置づけを考えてみると、色々解釈はあるだろうが、客観的に見れば以下の事実は明らかである。(但し個人的見解)
 (1)裁判員裁判は裁判官だけの裁判より格が高い
  →対象事件が裁判員裁判の方が重罪事件であることから明白に導かれる。
 (2)裁判員裁判と裁判官だけの裁判で判決に大きな差が出ることは想定されていない
  →大きな差があったら導入できない。
   また差がでても、裁判員裁判のほうが優先されるべきなのは前項の格の差からも明らか。
   最高裁も基本的に其のような運用をしているようである。

こういうことがあるから、今回は裁判員裁判ではないが、参考の為にもし裁判員裁判だったらどうなるかを考察してみる。
まず、以下のコメントについて。
 >大量のデジタル証拠を裁判官が理解できないことを見越した裁判になりそうです。

文科系の中心を成すような法学を学んで、その後もずっと裁判官をやってこられた方々が、日進月歩で専門性の高いネット関連のIT技術を深く理解出来るとは到底考えられない。
その点は一般人と基本的に同じだが、一般人の方がまだ理解している人の割合が多いのではないか。

例えば、無作為に抽出して特に東京周辺の方々なら、よく知っている人1名、少し知っている人2名、殆ど疎い人3名などの構成は考えられるだろう。
裁判員は6名、それに裁判官が3名で計9名が基本構成)
そうなると、この裁判も前述の裁判と同様に、もし選べるなら本来は裁判員裁判のほうが適切だっただろう。

よって裁判員裁判として本事件の判決の出方を考えてみる。
裁判員裁判では合議で全員一致にならなければ多数決になる。本事件は難解なので、意見が分かれることは必至だろう。
採決では被告に不利な決定する場合には、裁判員だけで過半数5人に達するだけではダメで必ず裁判官が少なくとも一人含まれていなければならない規定である。

逆に言うと、無罪判定の場合は裁判員・裁判官関係なしに9人中5人無罪で確定となる。
しかも、棄権は認められていないので、どうしても判定つかない人は「推定無罪」原則に従って無罪の方に加わることになる。
よって、「無罪」+「どちらとも言えない」が過半数の5人になれば無罪になる。
5人対4人という正に僅差でも決定されるわけである。

それで、これだけ難しい事件だと、検察側は膨大な証拠に基づく立証構造を構築していて有利なのは間違いないが、当初からの対応で秘密主義や犯人性証明予定事実提出引延しなどが有って無駄に印象を悪くしており、横綱相撲を取らず弁護側からの課題にもなかなか答えようとしてこなかったなどの問題点もある。
そして肝心の遠隔操作に関して「東京都内又はその周辺、インターネットに接続したPC、実行日時も特定しない」との主張であり、重要な雲取山でも12月1日「頃」という本来有り得ない主張をしてきている。

更に、弁護側からはまだ1つとはいえ、写真で証明できるアリバイ主張もなされたし、その他の反論もこれから公判で豪腕佐藤氏が繰り広げていく。被疑者の肉声も注目である。

裁判官はIT技術には疎いが証拠能力の認定等では能力高いと想定して、トータルでは裁判員と同様のパフォーマンスになると仮定してみると、3人の裁判官併せた自由心証において、裁判員裁判で考えた場合の「5対4」のような僅差で無罪が出ないとも限らないというのが、現時点での当方の印象である。
全くの参考で現実的には裁判員裁判ではないが、当方の「別角度からも考えてみる」という考察の例としてのご紹介となる。

なお、裁判員裁判導入の意義や重要性などについて、まだまだ書ききれなかったのでどこかで稿を改めて書いてみたいと思う。
それと、rec*lde**des*さんの以前のコメントは当方も同感である。
 >このような事件は、少なくとも事故調査のような第3者機関できちんと証拠を調べ公平な証拠に基づいて裁判すべきでしょうね。

ただ、世界中でこのような趣旨の制度をどこか導入しているようなところがあるか、あるとしたらどのような方式か、などは調査できていないので、これも後日どこかで考察してみたい件である。(こういう改革も裁判員制度導入で司法制度根本改革の実績ができたから、国民が望めば将来的に実現できる可能性もあるだろう。民主主義というのは凄い制度だと改めて感じる)

以上