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佐藤氏法廷戦術と当事者主義

事実関係で書くことが多すぎて、なかなか司法関係に手が付けられてなかったが、皆さんのコメントの方が先に司法関係の方に向いてきたようである。
それで当方の考えていることを、皆さんの検討のご参考用に記すことにする。
まず、本日は”佐藤氏の法廷戦術”についての考察。

人間は、同じことを説明される時に、書類だけで示されるのと、目の前で言葉で説明されるのではどちらが印象が強いであろうか。
そして、言葉で説明する方も後で文書化して渡すとしたら、一般的には言葉で説明受けた方がインパクトがあるだろう。
佐藤氏の今回の戦術は正にそれを狙ったものと当方は捉えている。

それに加えて、人間の印象の強弱に影響を与える要因として、時間的前後の差がある。
先に説明するより後から説明した方が有利になる場合が多い。
人間の記憶力や印象の持続性からくる生理的なものだろう。(フィギュアスケートや体操などの採点競技でも演技順の影響の話はよく出る)

よって、佐藤氏の戦術の要点は以下の様なものと考える。
 (1)検察の提出証拠にすべて同意することにより、検察の尋問機会を封じる。
   結果的に検察側の持ち時間が大幅に短くなったようになり、膨大な文書は提出されるが生の声は聞けず、印象は薄まらざるを得ない。
 (2)弁護側は後からたっぷり時間を取って証人を呼んで無罪主張を行う。
    相対的に弁護側の持ち時間分が圧倒的に長くなり、印象を強められる。
   そこに佐藤氏の立て板に水の巧みな弁舌が加わる。   

更に、これだけだと見え見えになるかもしれないので、(2)の際には「検察側もどうぞ弁護側の尋問の時に聞きたいことを聞いて下さい」と門戸を開けておく。
これは、「検察は今回独自捜査をしていない」と喝破した佐藤氏が、検察は主に警察官の証人に証言させて有罪立証しようとしていて、検察官だけでは有効な反論が出来ないだろうと読んでいることが考えられる。

もちろんこれは当方の推測で佐藤氏の心中の深いところは分からないが、客観的に見ても(1)(2)のような効果が想定できるので、当方は「弁護側が検察側の請求証拠全てに同意する」というニュースを見た時に、「ここまで凄い人(佐藤氏)がいるのか」と驚愕した。
情勢分析・アイデア・判断力・度胸・実行力、などすべてが非常に高いレベルで揃わないとこういう思い切った戦術は取れないと思う。
今までの記者会見をきっちり開いて説明する姿勢などからも凄さは伝わってきていたが、遥かにそれ以上だった。
純個人的見解だが、こういう戦術の是非や有罪無罪の結果には関わらず、佐藤氏の名声は例え裁判で負けたとしても高まりこそすれ、落ちることはないと思う。

なお、真相追求と云う点では批判も出ると思うし、当方も弁護側だけでなく検察側の証人尋問もじっくりやってもらいたいと思う。
しかし、こういう状況になってきたのは制度の問題が大きいと考えている。
日本の刑事司法は基本的に当事者主義で、余り裁判官が訴訟の進行に介入しない。
この制度については、以下の様な端的にまとめた説明があったので参考に示す。
「日本法の刑事訴訟手続は審理の進行と事案の解明の両面において、当事者主義を基調とするが、第294条(裁判長の訴訟指揮権)などの例外もある」

今回のような状況は、謂わば「悪しき、或いは行き過ぎた当事者主義」の結果ではないかと思う。
本来は裁判官が、弁護側が証拠同意しても特に重要と思われる検察側証人は調書だけでなく尋問を行うなどの訴訟指揮をすれば良い。
しかし、訴訟指揮を例外的と見る今の制度では裁判官はそれをやってこないだろう。
(ただし、当事者主義に対する「職権主義」を強めれば良いかというと、それも又問題が出て来るだろうから単純ではなく難しいところではある)

また、裁判官に関する問題で云うと、公判前整理手続を事前打ち合わせから含めたら10ヶ月近くの間に計10回も行なって、その間に裁判官が証拠を見ないというのも信じられない話である。
起訴状一本主義とかに囚われすぎずに、もっと柔軟な対応を行なっていくことが必要ではないだろうか。

この事件は司法全体に対しても考える良い機会になると思う。
それなのに法曹界から活発な議論が聞こえてこないようなのは非常に残念。
我々一般人より前にまず法曹界が注目して議論する要素の多い事件と思う。

以上