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精神状態による責任能力の有無の問題

心の病と処罰に関しては、「悪いことをしたのだから責任能力云々は関係なく処罰を」と簡単にはいかない非常に難しい問題。
調べてみたら、以下の主張が目に留まった。和田秀樹氏の人物評価は別にして、内容的に頷ける点が多いと感じた。

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”精神鑑定の「基準」づくりを急げ” 精神科医国際医療福祉大学教授 和田秀樹
「東京・渋谷のセレブ妻による夫のバラバラ殺人事件は、弁護側だけでなく、検察側の精神鑑定医までが、「(被告に)責任能力なし」の鑑定を下す異例のケースだった。
東京地裁の判決は、被告に完全な責任能力を認め、懲役15年の判決を言い渡した。」

「判決文でも、被告が短期の精神病性障害にあったことも、幻聴や幻視があり、相当強い情動もあったことも認めており、「鑑定結果の信用性に疑いを差し挟む事情はない」と断じている。
要するに、精神鑑定医の症状の診断結果は妥当なものであるが、責任能力なしという判断を採用することはできないということである。私は裁判官のこの考え方を支持する。」

凶悪事件の裁判では、非常に高い確率で、被告人に精神科の診断名がついてしまうのだ。
 実際、司法精神医学の専門家に聞いてみると、犯行時に幻覚や妄想のような精神病症状があったとしても、その原因が心因である場合は、責任能力なしとはしないということだった。
「要するに、正常な人間でも起こり得る異常な心理状態のときは、なんらかの責任能力を問うが、自分ではどうすることもできない不幸な心の病を背負っていたり、脳が侵された際に生じる幻覚や妄想が犯行の原因になっている時は、責任能力を問わないという考え方である。」

たとえば、性格の偏りのために、一般の人より犯罪傾向が強いとされる人格障害については、成育歴で虐待を受けている人が多いとされている。
 しかし、これは情状面での問題とされ、精神鑑定の上では、完全責任能力と考えられてきた。
 しかし、最近になって、人格障害と思われてきた人が、人の感情が理解できず、行動面の統制が悪いアスペルガーと呼ばれる発達障害、要するに先天性の脳の障害によるものなのではないかという考え方が強まってきている。このような人の責任能力についても、精神科医の間でも、完全責任能力から、責任無能力まで判断が分かれている。
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要約してみると、「心の要因なら責任能力あり、脳の障害なら責任能力なし」とされてきたということのようだ。
人格障害については、従来は心の問題で完全責任能力と考えられてきたが、先天性の脳の障害によるものではないかという考え方が強まってきていて、精神科医の間でも責任能力の有無について判断が分かれているとのこと。
では、被疑者のケースで推測されているように、イジメによる後天的な人格障害が発生したような場合はどうなのか。

更に、後天性でも先天的にストレス耐性が低い人というのもいるはずなので、後天性と先天性は違うと簡単に判断してよいものだろうか。
また、科学的発想からすると、ストレス耐性も含めて性格決定に「DNA」が密接に絡むことは当然と考える。
そうなると責任能力の有無にDNA分析も関係してくるだろう。(本人特定のDNA鑑定ではなく、DNAが人の性格などにどのような影響を与えるかというような分析)
どんどん話が広がって、結論を得るのは難しくなってくる。人間の根本に関わる問題だから、簡単に結論が出ないのも当然といえる。

では本事件限定ではどうかというと、昨日も記したように弁護側も検察側も精神鑑定という話にはならないと思われる。
しかし、当方個人的には被疑者が犯人なら、これだけ相反した心の動きや行動があるからには心の病があって、それに突き動かされた犯行と考えられるので責任能力の問題は発生すると思う。
後は裁判官がもし有罪判決を出す場合には、心の病の可能性を指摘して鑑定の必要性などを指示してくれることだが、日本の刑事司法制度は弁護側も検察側も主張しないことを裁判官が独自に考えることは難しいであろう。
やはり「心理分析官」のような制度が必要と思うが、ネットで心理分析官を検索してみると、米国のFBIの話やドラマ・映画、日本でもフィクションとしての話は出てくるが、本物については以下の様なQ&Aぐらいしか引っかからなかった。

 ”日本に心理分析官はいるのでしょうか”
 ”FBI心理分析官のようなスペシャリストの活躍の場が日本でも重要視されたら、・・・”

結局日本では心理分析官がいたとしても役割も効果も極めて限定的なものであろう。しかし、長い目で見れば導入する価値はあると思うので、日本でももっと真剣に取り組んで貰いたいものである。

なお、被疑者心理面で興味深いことがまだある。
阿曽山大噴火氏の第二回公判傍聴記録で被告に向けての裁判官の発言が記載されている。
 裁判官「あなたはこうして会話もできるし、さっきから話を聞いてると頭もいいしね。理知的に話すし。・・・」

裁判官のこの言葉に至るまでの被疑者の話は、特に理知的に話しているような感じは受けないのだが、文章ではなく実際に話を聞くと印象が違うのかもしれない。
佐藤弁護士も実際に話を聞くと印象が違うということを言っていた。

どうも被疑者は「理知的で頭がいいと考えた」ほうが良さそうである。子供の頃の同級生の話などでも頭はいいという評価だった。
しかし、単に暗記力などが良いだけの頭の良さでなく、「理知的」となると江ノ島で明らかに捕まる可能性が高いことをやって、そのまま滞在してタコせんべいとしらす丼までゆっくり食べて帰る行動などとはどうも合わない。
その割に、慎重に携帯電話や衣服を証拠隠滅しようとするが、それは自分に捜査の手が及ぶ可能性があることがわかっているということだから、特定され尾行がぞろぞろ付いて猫カフェまで来てるのに気が付かないのも解せない。
また昨年は、2ヶ月近く本来業務しないでC#によるトロイ開発してたのだから、同僚にも見られてバレてる可能性が高いことを自分で知らないわけがないのに、逮捕されてから「C#使えない」という単純な言い訳をする。

或いは「勾留が終わったら花見に行くつもりだったのに、なんでこんなことになったのか」なんて悠長なことを言ってて、「理知的」なら必ず考えるはずの「アリバイ立証」に本格的に取り組んでいるようにも見えない。
犯人だからアリバイ立証が元々できないのか。犯人ではないので、ノンビリしていて自分から進んで立証は考えず、「C#できない」と「自分のPCが遠隔操作された可能性」を主張して、後は「記憶に無い」で通すのだろうか。
どうも訳がわからないところが多すぎる。
被疑者の実際の人となりを知りたいものだが、まだ接見禁止も解かれず弁護団以外の人は話を聞けない。検察は頑なすぎるのではないだろうか。
国民も裁判員制度で裁判に実際に参加するようになったのだから、重要事件を通じて国民の司法意識を高めるためにも「知る権利」に応えた積極的公開姿勢が検察にも求められると思う。

以上