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心理状態考察6

ラストメッセージを報じている週刊現代の記事が「弁護団寄りという印象」ということを昨日書いたが、それは「被疑者のPCが遠隔操作された可能性を考慮せず、起訴・勾留に血道を上げている。そんな国家権力を、真犯人は嘲笑う」と記事に書いている部分が端的である。
「被疑者のPCが遠隔操作された可能性」は佐藤弁護士と被疑者本人も主張している内容であるし、同様のコメントも頂いている。

これに関しては検察は捜査終結時の記者会見で、次席検事が「彼のPCが遠隔操作をされていたとも考えられない」 と明言している。
ただし、証明予定事実記載書にその記述があるか、あれば具体的証明はどうか、などについて記載書提出を受けた弁護側も明らかにしていない。

弁護側は先月末に公判前整理手続で行った主張などを書面化して、裁判所と記者団に提出することになっていた。
報道も弁護団記者会見も行われていないが、提出されていることは確実と思われ、その回答が今週末8月16日(金)に検察側から提出される予定になっている。
弁護側が主張書面で「被疑者のPCが遠隔操作された可能性」をどのように記載しているかはわからないが、重要な争点であり、検察側から何らかの回答が出る可能性はある。
そのため、検察側回答待ちとしておきたいと思う。

さて、被疑者の心理状態考察に戻り、更に原点に戻って考えてみる。当方が今回の事件の主動機とされている「警察・検察への恨み」に関して、被疑者が犯人であるとすると疑問があると感じたのは、このところ書いている被疑者から聞いたという佐藤弁護士の話である。
「被疑者は前科になった事件で服役したが、刑務所の中は人と話す必要がある環境だったので、それまでの一人で閉じこもるような性格が大分治って、実際出所してから人付き合いが良くなった。
  それで本人は自分の人生にとっては実刑も良い面があったということで、恨みなどには思っていないそうだ

これを再度考えると、何故この発言が信用できそうだと考えたかというと、単に美談的というだけではなく、「人付き合いが良くなった」というのが報道などから分かった周囲の人の評価などで事実と判断できたからだ
例えば2月13日の朝日新聞は「チームで仕事、談笑」と見出しを打って、「会社ではチームの仕事も無難にこなした。・・・趣味のパソコンやツーリングの話題で同僚と盛り上がることもあった」と報じている。

これは「回避性人格」という傾向が大きく改善したことを示すと受け取れる。少なくとも自室にこもってPCゲームに嵌り、大学も辞めたという時期の精神状態とは全く違うと云って良いだろう。
明らかに服役は被疑者にとって良い面があったのである。この部分で、本人の言い分も、周囲の評価も合致していたから、それに続く「恨みになど思っていない」も信用できるのではないか考えた。

しかし、ラストメッセージでは「私のように警察・検察・裁判所に対して悔しい思いをされた方は多数いると思う」と書かれている。
なかなか一筋縄では理解できないのだが、やはり「警察が大嫌いなだけさあw」とあっさり決め付けてしまうほうが良いのだろうか・・・。

ただ、ラストメッセージの上記文章は「警察・検察」だけでなく「裁判所」も悔しい思いの対象に入っている。
阿曽山大噴火氏は裁判官の対応は絶賛していたが、被疑者が犯人であるとすると、本人の心には裁判官の配慮は届かなかったのか。
警察・検察と書いたので、裁判所も並べて書いただけかも知れないが。
或いは予想外の実刑判決に恨みを持ったか。

この辺を更に考えるためには、前科の際の事情ももっと考察する必要があると感じている。
機会をみてやってみたいと思うが、本日紹介できる前科関連情報が少々ある。
前述の朝日新聞2月13日記事中に阿曽山氏からの話も載っているのでご紹介する。
 「当時の傍聴人の阿曽山大噴火氏によると、被疑者は自らの胸の内を語る一方、こうも口にしていた。「書込がばれるようなようなやつはへたくそだ」」

この「胸の内」というのは先日引用した阿曽山氏の第二回公判傍聴記録中の「自分は社会に必要ない人物なんだと思うようになりまして・・・」というような内容であるが、「書込がばれるようなやつはへたくそだ」の部分は傍聴記録にはない発言。

更に記事は阿曽山氏からの話を続けている。
 「捕まっている他のやつらと俺は違うんだぞ、そんな印象を受けたと阿曽山さんは振り返る。・・・
 弁護人に「ばれなければ他人を傷つけてもいいと思っていたのか」問われると、こう答えた。「他人が傷つくという考えすらなかった」」

この「他人が傷つくという考えすらなかった」と云う箇所を見た時に、当方は人格障害を表すものとピンと来た。
こういう反応は人格障害でも「病気」を考えたほうが適切だろう。
だからこそ、裁判をしていて関係者は何故治療の必要性を考えなかったのかと疑問に思うわけである。
逆に前科の裁判の際に被疑者が反省してなかったという記述を何度か見たことがあるが、それは「考えすら無かった」という卒直な病状の表明を「反省がない」と受け取っているということだろう。
余りの理解の無さに呆れる。

中学時代からの心の動きが何層にも重なっているところに周囲の無理解が加わって、読みにくい心理状態になっていると感じる。
ただ、被疑者が犯人としても、本人の心境は意外とあっさりしているのかもしれないが、そういう心理状態になるまでは色々な要因が複雑に重なりあっていると思われる。

その上で、現時点で先行きを考えてみる。検察側証拠がこれまでの開示分だけで、今週16日も決定的追加証拠などが出なければ、最終結果は大きく分けると以下に絞られる。
 (1)裁判官が検察の間接事実の積み上げに依る証明を受け入れて有罪判決(検察の求刑と判決の刑期はまだ読めない)
 (2)遠隔操作の証拠が最後まで出てこなくて証拠不十分で無罪判決
 (3)心の病を考慮して責任能力無しで無罪・治療施設収容

この中で(3)は現状弁護側は主張していないし、精神鑑定も要求しないと推測される。検察側も責任能力はあったと主張するだろうから、まず無いだろう。
(1)と(2)はどちらになっても、一審だけでは決着せず、最終的に最高裁まで行くのは確実と思われる。
江ノ島猫の首輪装着時間帯の件だけでも無罪とはしにくいし、かといって直接犯行行為である遠隔操作の証拠が出て来なければ有罪にするのも容易では無い。最高裁までもつれる要素は充分ある。

これ以外に、新しい展開があるとすると以下のようなことが考えられる。
(4)新たな展開
 (4)-1 新たに検察側から決定的証拠が出てくる(有罪)
 (4)-2 被疑者の心境が変わって自供を始める(有罪) 
 (4)-3 真犯人からメールなどが届く(無罪)
 (4)-4 被疑者と弁護側がアリバイ立証出来る時間帯を主張する(無罪)
 (4)-5 その他(真相は明らかにならない)

(1)~(4)全部合わせて考えてみて、当方の勘になるが(4)-5ではないかと現段階では感じている。つまり、本事件は真相が不明な部分を多く残したまま、何らかの形で幕引きになるのではないだろうか。
ただし、それがどのような形の幕引きになるか、今は皆目分からないが。

それでもまだこの事件は出来るだけ論理的に見続けていこうと考えている。明日は、前述の(3)は無いと書いたが司法上の重要な課題であると思うので、責任能力問題について考察してみたい。
その後、(1)に関しては痕跡の類の物的証拠検証を相当行ったので、(2)に関連して今回の「訴因」の問題の考察を行なって、今週末の検察回答提出を待ちたいと思う。

以上