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DNA問題

袴田事件では犯行当時は出来なかったDNA鑑定が行われた結果が大きな決め手になった。
丁度江川氏の記事が出ている。
袴田事件で再審開始&釈放を命じた決定を読む”
< 裁判所の判断の説明はDNA鑑定から始まる。この決定書を読んで、改めてDNA鑑定が裁判所に与える影響は強い、と感じた。>

本事件でも、裁判官の心証に与える影響としては、実はDNA鑑定結果が一番大きくなる可能性があると個人的には考えている。
その理由は「一般向けに分かりやすい」ということ。

開発の痕跡をいくら説明しても、一般人、そして裁判官にも分かりにくいのはやむを得ない。
そこで裁判官が自分にも理解しやすくて、判決理由としても書きやすいDNA鑑定が重視されるのではないかと推測している。

逆に言うと、「DNA鑑定は無関係」という決定的な理由を示さず退けて判決を書くことは、後々批判されるのが分かるから、これだけ経過が広く知られた事件では相当困難になるだろう。
裁判官も人間だから、白黒の心証だけでなく、こういう判決を書けばこういう結果につながるという心証も当然考える。
そして裁判所の中での位置付けや将来のことも考えて判決を書かざるを得ない。生活が掛かっている。
その意味でもDNA鑑定は重要になりそうである。

さて、その前提として本事件の鑑定結果が1月27日の弁護団会見で説明されている。
ビデオ31分頃~にセロテープへのDNA付着の意味とその後のDNA鑑定について説明があり、要約すると以下のようになると思う。
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(1)SDカードを取付けたセロテープの巻き方
 ・まず一回首輪にセロテープを巻きつけている、これは端子保護用と考えられる
  (当方見解は端子保護より、まず一回巻いてテープを固定し巻きやすくする目的と推定。但しやることは同じ)
 ・テープ長さは約5cmで首輪の幅は約1cm、首輪の厚みが若干あるから1回目の巻き付けで2cm強使われるが、残りの部分の粘着面には犯人のDNAしか付着しないと考えられる
(2) 1月5日回収したセロテープのDNA鑑定
 ・1月11日 警視庁科捜研に鑑定嘱託
 ・1月22日 鑑定結果入手(3つの座位から結果が得られた、一人分のDNAと考えられる)
(3)被疑者のDNA鑑定
 ・2月10日逮捕日に口腔粘膜採取
 ・警察の鑑定書作成 3月1日付 ・・・セロテープのDNAとは全く別人だった
(4)鑑定書問題点
 ・セロテープの何処の部分からDNAを抽出して鑑定したのか全くわからないようになっている(書いていない)
  →佐藤氏指摘:(5cmのセロテープの中で一回目の巻付け以外の犯人しか触れられない粘着部分のDNAであれば)決定的な無実の証拠なのに、(どの部分か書かないことで)そうでないかのように書き換えられた
(5) 3月1日という日の重要性
(佐藤氏はDNA鑑定で3月5日は一旦起訴躊躇したのではないかと言いたかった様子)
 ・第一回勾留満期3月5日 処分保留釈放後再逮捕
 ・第二回勾留満期3月22日で起訴 
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佐藤氏が示した比較表は以下で、説明によると上記のように「セロテープのDNAは一人分で片山氏とは明らかに別人を示す結果」になるそうである。
イメージ 1

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上図で左側の欄が「セロテープ」という表題になっているように、セロテープから検出されたDNAは犯人のものかどうか現時点では定かではない。
しかし、そのDNAの持ち主が特定されて、事件には無関係な人物と証明されない限り、犯人の可能性はあって片山氏とは別人ということになる。

最終的には「セロテープから検出されたDNAがどの部分から抽出されたか?」が課題になりそうであるが、そのような重大なことが未だに明らかにされない事自体が大きな問題。
裁判は「健全な社会常識」に基づいて行われることが基本のはずであるから、常識に則って仮に検察側が詳細情報を出し渋っても権限を持つ裁判官が強く提出指示するように運用を変える必要があるのではないか。

更に書いておくと、公判前整理手続の例でも弁護側の求釈明に対する検察側の回答は「釈明の要なし」だけで、その理由も書いてないものが出てくることがある模様。
当ブログ昨年8月24日記事”第4回公判前整理手続後記者会見1 ”
< 弁護側の求釈明についての回答書というのは、弁護側は8月2日付けの書面で全部で26項目の釈明を求めていたが、その内2項目だけは釈明をして、それ以外は釈明の要なしとの回答。>

「釈明の要なし」の理由は示されていないようである。本事件だけの特殊例なのかもしれないが、官の仕事に対する見方が厳しくなっている昨今、このような傲慢とも云えるやり方は社会常識に反する。
それが法曹界ではまだまかり通ることにも一般国民として唖然とする。
(求釈明が多くなりすぎることも考えられるが、それは裁判官が「健全な社会常識」に則って対応を判断すれば良いことである)

以上