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心理状態考察1

8月3日の当ブログ記事で最後の方に、心理状態の考察に関してコメントへの返信を兼ねて以下の内容を記した。

 「躁(そう)うつ病」についても考えて調べてみてきているが、「躁うつ病」は分類的に「精神病」の範疇に入るようである。それに対して今や大きな社会問題になっている「うつ病」は「精神障害」に当たるとのこと。
 当方が今考えているのは後者の方である。流行に流されて考えているるわけではないが、「新型うつ」的症状の可能性で、「嫌なことをする場合は鬱になるが、やりたいことをする時は元気になる」という症状との符合である。
 ただ、「精神病」と「精神障害」の分類の仕方も色々な考え方があるようだ。また症状的にも、本来仕事で鬱になっていることが考えられるのに、その仕事場で自分がやりたいこととはいえ自宅より格段に高い見つかるリスクを背負った上で、これだけの開発を行える心理状態というものが本当にあり得るか。
 もしあったとしても、非常に特異な状態と言わざるを得ないと思われ、被疑者が犯人の場合の心理状態は相当奥が深いものになりそうである。

これは、被疑者が犯人と仮定すると、例えば「7月初めから精神的不調で通院しているのに、6月末~7月末の約一ヶ月で初回用トロイ開発できた」、「江ノ島で人が大勢いて目撃や撮影されるのを分かってて首輪付けたのに、逮捕されたら全面否認」などの相反する行動が多いために、それを理解するにはかなり特殊な「心の病」と考えるしか無いと見るからである。
被疑者の状況を時系列的に以下の分類で整理してみた。(行為の犯罪性は別にして本人の好調不調などで分類)

 ◯・・・好調、慎重
 ◎・・・絶好調
 ●・・・通院・休職が必要なほどの不調
 ▲・・・用心深さ欠落
 ★・・・不可解行動
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 ◯ CSRF犯行
 ◯ Torトロイ考案
 ◎ C#独習
 ◎ 一ヶ月で初回用トロイ開発
 ▲ 開発中業務殆どせず
 ● 7月初めから通院・投薬
 ◎ 遠隔操作完遂
 ▲ 同僚近くにいるのに遠隔操作
 ◎ 段階的機能向上
 ▲ 生IPで予告先検索(前科で特定されたのに又やった)
 ◯ 犯行声明メールで自己顕示
 ◯ 犯行声明メールで冤罪者救出訴え
 ★ 自殺予告メール
 ● 休職
 ◯ 頻繁な旅行(北海道、タイ、イタリア)
 ★ ネットからリアルに出てくる(雲取山
 ◯ クイズメール
 ◯ 雲取山未発見で迅速に江ノ島準備
 ▲ スマホ江ノ島・猫など検索
 ★ 見つかりやすい江ノ島猫首輪を選択
 ▲ 江ノ島で装着後ものんびり滞在
 ◯ スマホ処分、カメラ紛失
 ▲ スマホ壊せば良いのに売却
 ▲ 逮捕前尾行気づかず
 ◯ 一旦職場復帰目前
 ◯ 否認
 ◯ 可視化要求
 ● 留置場での精神不安定(拘禁の影響もあり)

上記の分類は一方的な当方の印象での分類だが、相反する説明の付かない行動パターンが多いと感じて以前から「心の病」の可能性を考えて来た。
だが、「躁うつ病」のような「精神病」のレベルまで考えると、トロイの開発のように快調な頭脳の働きを要する作業ができないのでは無いかと考えた。
(「幻覚や妄想などによって、現実と非現実との区別がつかない現実検討能力の障害された状態を精神病状態とする」というような分類の仕方もあるようだ)
それで精神病の手前の「精神障害」のレベルを考えて来た。

ここで「週刊現代」の記事の話になるが、本文の冒頭は「私は壊れている」という見出しで始まっている。
犯人がラストメッセージ中でそう書いているのを引用しているのだが、非常に重要な言葉だと受け止めた。
物が壊れたら故障だが、人が精神的に壊れるというのは病気となる。
つまり、犯人は「心の病」を自覚している可能性がある。

ただ、ラストメッセージは昨年12月末ぐらいに書かれたと考えられている。トロイの開発のメインは昨年7月で大分前である。
「心の病」は目に見えなくて分かりにくいが、「進行」ということも考えるべきだろう。
7月頃はまだ好調になれる面があってトロイを開発できたが、それが進行して12月からは休職に至った。このように推測する事もできると思う。

もしそうだとすると、もはや有罪か無罪かの話ではなくなる。「心の病」ならまず責任能力の問題になるからである。
もし被疑者が犯人の場合は、昨年6月や7月段階においても精神病まで行かなくても既に自己制御能力が相当低下した精神状態での犯行であったと推測する。
前科の引金にもなったと思われるいじめなどの悪影響による人格障害的な面が、何らかの要因でパワーアップして再発してきて、衝動が抑えきれなくなった可能性を考えるわけである。
なお、前科の時は「回避性人格」の主張を弁護士がしたようであるが、その時の裁判官や弁護士の認識が甘かった可能性がある。
前科の裁判の際に、「ノコギリで頭を切られた」などという、どう考えても違和感がある証言を聞いても、そのまま単に実刑というのでは「心の病」を余りに軽視し過ぎでは無かったか。。
もっと「人格障害」を意識して、「要治療」という発想が必要だったと思う(そういう措置も取られていたのかも知れないが報道などはない)。

本来今回も、もし被疑者が犯人なら、検察は全体が見られる立場なのだから、まず「心の病」の疑いを持つべきであろう。
それを有罪か無罪かだけ考えて、有罪を勝ち取るために容疑の説明も殆どしないまま長期勾留だけ行ったのは、正に人の心を壊す行為になってしまう。重病の患者を治療もせずに閉じ込めているのと同様であるのに、「心の病」ではそれが行われてしまう。

近年は厳罰化を求める風潮があって、責任能力の有無を重視しなくなってきている印象がある。
しかし、「心の病」も増えているのだから、もっと慎重に見極めていく必要があると思う。
被害者やその関係者からしたら、相手がどのような精神状態であれ被害を受けたのだから、それが精神状態によって罪が違うというのは納得がいかなくて当然で、非常に難しい問題ではあるが、有罪か無罪だけでなく、もう一度「心の病」のことを司法や社会全体でもよく考えるべき時に来ているのではないかと感じる。(自分が被害にあった時はどう考えるだろうかという命題もあるが)

被疑者が犯人の場合は、遅ればせながらでも「精神鑑定」が必要と思う。そしてもし犯人なら何らかの心の病が見つかると思うので、治療方法の検討が必要になるだろう。
ただ、今のような公判待ちの状況では誰が精神鑑定の必要性を訴え、誰が実施を決定できるのか。その意味で被疑者のことを親身になって考える親兄弟までいつまでも接見禁止を続けるのは、まさしく人権問題だと云うしか無い。

このように考えてくると、週刊現代の記事の最後の部分の意味は、記者が思っているより遥かに重いと当方は感じる。書き写すにも重い内容なので、見ようという方は実際の記事で見られたい。
なお、心理状態の考察に関しては、違うご意見は沢山あると思う。ただ、ブログは個人の考えか述べられる場だから、思ったことを書こうと考えている。

以上